ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神との対話 3』は、37か国語に翻訳され、日本でも140万部を超える人気シリーズ3部作の最終話です。
仕事も、家庭も、人間関係も、あらゆる面で悩み、苦しんでいた青年が「なぜ、自分の人生がうまくいかないのか」という問いを綴ったときに、「神との対話」が始まりました。
本書より、愛とセックスというテーマについて、次の3つのポイントでご紹介します。
- 人間の最も自然な感情は「愛」
- セックスは卑しいものではない
- セックスとは「一つであるもの」を経験すること
人間の最も自然な感情は「愛」
人は、生きていれば自然に様々な感情を味わいます。悲しんだり、イライラしたり、嬉しくなったり、好きになったり。これらの感情は、自然に湧くものであって無くすことは出来ません。
しかし私たちは、このような自然な感情を抑圧するように教わります。泣いてはいけない、怒ってはいけない、嫉妬してはいけない等。誰かに告白すること、好きな気持ちを伝えることも何か、恥ずかしいものだと考えられています。しかし、そんなわけはありません。
自然な感情を抑圧し続けていると、本当の自分を否定し続けることになり、結果的に「不自然な感情」が生まれてしまいます。
「不自然な感情」とは、気分が沈んでいる等、マイナスな感情がずっと続く状態を言います。「自然な感情」を持っている人であれば、マイナスな感情になっても、比較的すぐに復活するのですが、「不自然な感情」を持っている人は、マイナスな感情を持っている状態がずっと続くのです。
要は、自然な感情を抑圧し続けていると、常にイライラしている状態になったり、慢性的な鬱状態になったりという、不自然な状態になるということです。
例えば、「怒りの感情」を表現することが許されて育つと、大人になっても「怒りの感情」に健全な態度でいられるので、「怒りの状態」から早く復活することが出来ます。
また、誰かを「羨ましい」という感情を表現することが許されて育つと、大人になっても「羨ましい」という感情に健全な態度でいられるので、素直に自分の成長につながる行動をとることが出来ます。「羨ましい」という感情をうまく処理できないと、「嫉妬」という感情になります。
自然な感情を抑圧するべきではないのです。
『ほとんどの人は、「最も自然な感情を抑圧」している。だが、自然な感情はあなた方の友人だ。神からの贈り物だ。素晴らしい経験を刻みだす神聖なツールだ』
そして、人間の最も自然な感情は「愛」です。
不安、怖れ、怒りの感情も含め、全ての感情は「愛」から派生しています。
しかし社会は、この最も根源的な「愛」という感情さえ、抑圧しようとします。
銃で人を殺すアクション映画は🔞ではないのに、ポルノ映画は🔞です。銃で撃つのとセックスをするのと、どちらが愛ある行動か、誰でもわかります。
他にも、家族で映画のラブシーンを見ていて気まずい空気になるとか、自分の子供にどのくらいこだわり無く性に関することを口にできるかどうか等、少し考えてみるだけで、「愛」の感情がどれほど抑圧されているかが分かるのではないでしょうか。
人生では「愛」が最も大切だと頭では分かっていても、行動や生き方が伴っていない人が多いのです。多くの人は、本当は何が人生において本質的なものなのかということを、理解していないのです。
『あなた方は「性的な気まずさ、抑圧、恥ずかしさを生み出した」。それが性的禁忌、機能不全、暴力につながる。社会全体としては必ず、「抑圧されたことは機能不全」に陥る。「恥ずかしくないことを恥ずかしい」と思わされると、「暴力」的な行動になるのだ。人間の怒りの大部分は、「性」に関連していて、基本的で自然な肉体の本能や利害、衝動等を抑圧したため生じる怒りだ、と言ったフロイトは、本質を見抜いている。』

セックスは卑しいものではない
セックスに対してネガティブな印象を持つのは、「性欲」というエネルギーだけで考えてしまっているからです。
セックスとは自分の全身のエネルギーと、相手の全身のエネルギーが交わり「一つになること」です。
人間には7つのチャクラがあります。チャクラとは、人体の中心線に沿ってある、7つのエネルギーポイントです。そのチャクラの中で、下半身のエネルギーだけに従ってセックスをすれば、確かにそれは最高の体験とは言えず、全体としての自分を経験していないことになります。
しかし、本当の意味での素晴らしい体験としてのセックスであれば、「全体としての自分」として交わっているはずです。
年収とか、社会的ステータスとか、いい奥さんになりそうとか、頭で考えている間は、このような素晴らしい体験としてのセックスは出来ません。この状態は、メリットデメリットを頭で計算しており、自然な感情である「愛」が無視されているからです。
思考や言葉から離れて、「ただ全身で好きだから交わる」のです。
このようなセックスをする時、7つ全部のチャクラを使って相手と交わっていると言えます。互いの全身の細胞同士が求めあい、交わり、交換され、人生においての最高の体験がもたらされます。セックスとは本来、こういうものなのです。
男性も女性も、愛とセックスを「別々の物」だと考えるから、お互いに好ましくない結果をもたらしてしまいます。しかし愛を語るときには、セックスも絶対に避けては通れないものです。愛とセックスは、別々のものではなく、同じ一つのものです。
『セックスは決して卑しいことでも、汚れたことでもない。その考え方は、あなた方の「文化によって刷り込まれたもの、外から押し付けられたもの」だ。欲求を満たす情熱的な性経験が、浅ましいとか、汚らわしい、ということは全くない。身体的衝動は、「動物的なふるまい」ではない。身体的衝動は、宇宙のシステムに組み込まれている。私(神)がそんな風に創ったからだ。』
『1つのチャクラではなく、7つのチャクラすべてで相手に応じるとき、探し求めている最高の経験が出来る。その「最高の経験、それが、あなた方が創造された目標だ」!』

セックスとは「一つであるもの」を経験すること
セックスとは、「他と交わり一つになること」です。
セックスで一つになると、「私」と「あなた」という別々のものではなく、「私たち」という意識に変化するからです。「私」の人生に、「あなた」の人生が入ってきます。
二人の間の境目もあいまいになって、似た波長を発するようになるので、言葉を交わさなくてもコミュニケーションが取れるようになります。
これにより、孤立感が消えて、他と一緒にいるという安心感を得られるようになります。
『人は生殖に対する責任を果たすためにセックスをするのではない。・・・本当のところは、貴方という存在の真の性質である、「一つであるもの」を経験せよということだ。』
『基本的な衝動は生殖よりももっと大きなもの、「本当の自分を再創造すること」に関係しているからだ。生物学的な指令は、「もっと生命を生み出せ」ということではなく、「もっと生命を経験せよ」 ということだ。そして、生命の真の在り方、つまり「一つであるもの」として経験せよ、ということだ。』
「一つであるもの」を経験することで、相手を知り、自分を知り、世界の全てを知ることが出来ます。「一つであるもの」を経験した時に初めて、相手との関係の中で世界を解釈できるようになり、この世に自分が何を体験しに来たのかを理解できるようになります。

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本書に興味を持っていただいた方、詳細は 『神との対話 3』 をご参照ください。
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