『人生の短さについて 他2篇』は、古代ローマの哲学者であるセネカにより書かれ、2000年間読み継がれてきた名作です。
仕事や雑務に追われていたり、怠惰な生活を送っていたりすると、人生は実に短くはかないものになってしまいます。しかし、私たちが手にしている時間は、決して短くはありません。
人生このままで良いのかと思っている方、忙しいと感じている方は少なくないのではないでしょうか。
本書を次の3つのポイントでご紹介します。
- 私たちは人生を浪費している
- 多忙になるな
- より良い人生にするために
目次
私たちは人生を浪費している
1.私たちの時間は決して短くない
忙しい、時間がないと嘆いている方は少なくないと思います。しかし、私たちが手にしている時間は決して短くありません。
私たちが時間がないと感じてしまう理由は、私たちが多くの時間を浪費しているからです。
私たちの人生は十分に長いので、偉大なことを成し遂げることも可能です。しかしそれは、人生全体が有効に活用されている場合に限ります。
人生全体が有効に活用されていない場合、人生が終わりかけた時にようやく、人生はあっという間に過ぎ去ってしまうものだということ、やりたいことが出来なかったということに気づくのです。
つまり、人生は短いのではなく、私たち自身が、人生を短くしてしまっているということです。
無益な仕事をすることに、怠惰に過ごすことに、何かを手に入れることに、時間を浪費してしまいます。このようなことをしている人が本当に生きていると言える時間は、人生のごくわずかです。その他の時間は、生きているのではなくただ時間が過ぎているだけなのです。
2.人生は、いつ終わるか分からない
自分の所有物を他人が奪おうとしたら、私たちは奪わせまいと抵抗するでしょう。
自分の時間を他人が奪おうとしたら、私たちはあまり深く考えずに応えるでしょう。
私たちは、物に対しては厳しいのに、時間に対しては甘くなりがちなのです。
この理由は、私たちが「まるで永遠を生きられる」かのように生きてしまうからです。つまり、人生はいつか終わるということを、忘れてしまっているということです。人生は、いつ終わってもおかしくないはずなのに。
例えば、60歳になったら好きなことをしたいと言っている人がいるとします。しかし、私たちが60歳以上まで生きられる保証はありません。人生は計画通りにはいかないものです。
「自分が死すべき存在ということを忘れ、50や60という歳になるまで賢明な計画を先延ばしにし、わずかな人たちしか達することのない年齢になってから人生を始めようとするとは、どこまで愚かなのか」(by セネカ)
本当にやりたいことがあるなら、今からやるべきなのです。人生はいつ終わるか分かりません。

多忙になるな
1.多忙は、生きることから最も遠くはなれること
多忙な人は、心が散漫になり、何事も深く受け入れることが出来なくなるため、何事も十分に成し遂げられません。
多忙な人は、生きることから最も遠く離れている、と著者は言います。「生きること」は生涯をかけて学ぶことです。
生きることをしっかり学んだ人は、自分の時間が奪われることを簡単には許しません。時間を大切にすることが、人生を大切にすることだということを知っているからです。
このような人は、自分の時間の価値がいかに高いかを知っています。自分の時間をすべて、自分の為だけに使います。そうすれば、その人の人生は長いものになります。
一方、多忙な人たちは時間の価値を知りません。他の人達が、その人からたくさんの時間を奪っていくので、人生が短くなってしまうのです。
2.毎日を、人生最後の日のように生きる
「人は皆、未来への希望と、現在への嫌悪に突き動かされて生きている」(by セネカ)
しかし本当に生きている人は、毎日を人生最後の日のように生きるのです。どうなるか分からない未来のことは運命の思い通りにさせ、とにかく今日を大切に生きるというマインドで生きています。
多忙な毎日を生きる人は、例え何年生きようと長生きしたとは言いません。単に長く存在していただけです。
例えば、ある人が港を出た途端、嵐に襲われたとします。彼はあちらへ、こちらへ流され、同じところをくるくる引き回されました。
これは、長く航海していたことになるでしょうか。単に長く振り回されていただけではないでしょうか。
世間の荒波に流されているだけでは、生きることは出来ません。

より良い人生にするために
1.先延ばしは人生最大の損失
「先見の明がある」というのは単なる自惚れであると著者は言います。このような人は、遠い将来を見据えて計画を立てています。
しかし、人生はいつ終わるか分かりません。
将来をより良く生きるために、今を犠牲にしてはいけません。
「より良く生きる」のは、いつか来る将来ではなく、「今」するべきことなのです。
それは、将来が本当に来るかどうかは誰にも保証できないからです。したがって、先延ばしは人生最大の損失です。
「生きる上での最大の障害は期待である。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすからだ。」(by セネカ)
やりたいことを将来に先延ばし続けると、その先に待っているのは、やりたいことを何もしなかった老人になることだけです。
2.過去は永遠に所有できる
時間は、過去、現在、未来の3つに分けられます。現在は、今この瞬間に過ぎ去るもの、そして未来は不確かなものです。
一方、過去は確かなものです。過去には、運命の力が及ばず、誰ももう変えることが出来ません。
過去は、「神聖で特別なもの」だと著者は言います。過去は、何の心配もなく永遠に所有できるものだからです。身体が動かなくなったとしても、あらゆる財産を失ったとしても、私たちは過去を失うことはありません。
「今」、本当にやりたいことをやると、明日にはそれが過去になります。やりたいことをやり続けた過去は、これからも自分の中に残り続けます。
過去は「今」の蓄積であり、誰にも奪われない本当の財産になります。だから、「今」を生きなければならないのです。
3.過去の偉人に学ぶ
多忙は、「生きることから最も遠く離れることである」と述べましたが、多忙を脱して暇になったとしても、ただの暇つぶしをしていては意味がありません。
「全ての人間の中で、閑暇な人と言えるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。そのような人だけが生きていると言える。」(by セネカ)
ここで、「英知を手にする」とは、過去の偉人たちに学ぶということです。
私たちは書物を通して、過去のあらゆる時代にアクセスすることが出来ます。私たちは過去を学ぶことで、人間の弱点である視野の狭さを克服していくことが出来ます。
著者は、過去の偉人に向き合うことを勧めます。
「私たちは、過去の偉人たちと議論することが許されている。共に何かを疑い、考えることを許されている。共に、安らぐことが許されている。共に、人間の性質に打ち勝つことが許されている。」(by セネカ)
だからこそ、全霊を傾けて過去という時間に向き合うことが大切なのです。
過去の偉人たちは、私たちの人生の年月を無駄には使わせません。私たちは、彼らからなんでも望むものを持ってくることが出来ます。過去の偉人たちに向き合った人は、「友」を持つことが出来ます。
閑暇の中で「生きる」ことで賢者となった人はどうなるのでしょうか。
「賢者の人生は、とても広大だ。賢者は並の人間の限界を超えている。賢者だけが、人生の様々な制約から解放されている。あらゆる時代が、神のごとき賢者の前でひれ伏すのだ。」(by セネカ)

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