『幸福論』の著者ヒルティは、スイスの哲学者です。
本書では、人よりお金があり、才能があり、運に恵まれているわけでもないごく普通の人達が、今日から何を心掛け、どのような行動を取れば幸せになれるのかについて、現実的な方法が示されています。「どうすれば幸福になれるのか」ということです。
本書を、次の3つのポイントでご紹介します。
- 人生を楽に生きるための技術
- 本物の教養と、偽物の教養
- 幸せになる勇気
目次
人生を楽に生きるための技術
1.仕事を要領よくこなせる技術を身に付ける
仕事を要領よくこなせる技術は、あらゆる技術の中で最も重要なものです。この技術を身に付けた人は、仕事以外でもあらゆる知識や能力を簡単に得ることが出来るからです。
仕事に対して、どうもやる気が起きないという人は、この状態から抜け出すには、まず大前提として、人間は生まれながらにして怠け者だということを良く理解しておく必要があります。
どんな偉大な人物であろうと、初めから勤勉だったわけではありません。己の本性に従うならば、誰もが怠惰な生活を送ってしまうものなのです。
怠けたい気持ちを抑え、自分を仕事に向かわせるための最も有効な手段は、習慣の力を利用することです。
怠けることも、遊ぶことも浪費することも、ずっと続けていればそういう生活に慣れてきて、自分にとって心地よいものになってきます。これと同様に、勤勉であることも、節制することも正直であることも、ずっと続けていれば慣れていくものなのです。
はじめは、なぜこんなに辛いことを続けなければいけないのかと思うかもしれません。しかし、一度習慣にさえなってしまえば、はじめにあったはずの抵抗感は薄れていき、次第にその生活をしなければいけない自分に変わっていきます。
習慣の力さえ身に付けてしまえば、人生の苦しいことや辛いことの大半を逃れることが出来ます。
2.まずははじめる
勤勉さの習慣を身に付けるうえで、特に重要なのは、まずははじめるということに尽きます。
何事においてもそうなのですが、始めようと決心するまでが、最大のハードルとなります。これを打開するには、最初の一歩をとにかく踏み出す。これしかありません。
例えば勉強であれば、まずはペンを握り最初の線を描きましょう。最初の一回さえ終わってしまえば、それ以降の作業はなぜか楽に感じるという仕組みを利用するのです。
世間の人の多くは、何かが足りないという理由で準備に時間をかけすぎたり、必要にせまられるまで、いつまでも動き出さなかったり、気持ちが乗るまでじっと待っていたりしています。この様に肝心な行動を後回しにし続けていては、いつまでたっても勤勉さは身につきません。
その予防策としてお勧めなのが、ルーティーン化です。つまり日々の仕事や勉強を気が向いた時にやるのではなく毎日一定の、きちんと決めた時間に行うのです。
ここで大切なのは、自分にとって最も自信のある所、あるいは自分にとって最も易しいと感じるところから手を付けるのがコツです。体系的に取り組まないといけないとか、やるべき順番があるかもしれないとか、そういう心配はいりません。
迷っている時間をカットし、さっさと動き出してしまった方が、最終的にタイムロスが少なくなり、生産性は上がります。余計なことを考えてチャンスや時間を失うより、とにかく動き始めてしまいましょう。
またどんな仕事でも勉強でも同じように言えるのですが、もれなく完全に仕上げようという考えは危険です。そもそも人間は、完璧な生き物ではありません。誰だってミスもするし、失敗もします。
だから貴方がやるべきことは2つです。
- 貴方にとって本当に重要なことを徹底的に掘り下げること
- 後の広い範囲は要点だけを抑えること
多くを望みすぎず、捨てるべきところは捨てる。その心構えが、仕事や学業で良い成果を修めるためのポイントです。
3.勤勉さを維持するための工夫
仕事を続けていると、誰だって途中で疲れてきたり、モチベーションが下がってきたりすることがあります。そんな時私たちは直ちに作業をやめなければなりません。
ここでのポイントは、完全に動きを止めてしまうのではなく、今やっているタスクを別のタスクに切り替えるのです。実は人間にとっての休息とは、何もしない状態だけではありません。全く別の作業をすることもまた、力を回復させる一つのテクニックなのです。
また仕事や勉強にできる限り時間を割きたいのなら、自分の力をいかに節約するかも考えておいた方が良いです。なぜなら余計なことに頭を使いすぎて本来すべき活動が出来なくなってしまう可能性があるからです。
例えば、一番いい仕事が出来る朝の時間、こういったゴールデンタイムに、新聞やニュースを隅々までチェックしていては、本来すべき業務に充てるエネルギーまでも消費してしまいます。だから自分にとって何が無益な活動なのか、どこに向けて頭を使うべきなのかをよく見極める必要があります。

本物の教養と、偽物の教養
一般教養の最大の成果とは、人それぞれの人格を健全に、かつ力強く発達させ、豊かにしていき、精神的に満ち足りた人間生活を送らせることにあります。
本物の教養は、偽物や中途半端な教養とは比較にならないものです。
真の教養は、いかなる場合にも必ず、それを持つ人柄全体に、また他人との付き合い方に、その影響がまぎれもなく現れます。
どれだけ質素な生活をしていようとも、真の教養を身に付けた人は、自ずからにじみ出る偉大さによって目立ち、同じ生活範囲の中にいるごく普通の人と、自然と見分けがつくものです。
世間には間違った教養、あるいは不十分な教養の持ち主も多くいますが、そういう人たちにはいくつか目立った特徴があります。主だったものを、7つ挙げます。
1.暮らしが大変贅沢であること
完全に教養を身に付けた人は、うわべだけの服装、住居、食事に大きな値打ちを置くことはありません。衣食住すべてにわたって、全体の外見や生活態度に気品とシンプルさが備わっています。それが教養ある人の最も確かな外見的特徴と言えます。
2.本を読む習慣がないこと
特に本を買えるだけの財力があるにもかかわらず、それでも本を持っていないという人は、まさにその典型です。良く本を読むことは、今日の一般教養の習得において欠かせないものです。
仕事をしながらそんな時間はないと問われたら、ヒルティは「不必要なことをやめなさい。」と言います。
付き合う必要のない人と付き合ったり、読んでも仕方のない新聞やニュースをチェックしたり、その他暇つぶしと称して遊んでいることなど、削れることはたくさんあるはずです。仕事もしながら教養も身に付け、その上でありとあらゆる娯楽も楽しみたいということは、出来ないのです。
3.騒々しく慎みのない態度であること
公共の場で大声でしゃべったり、自らを省みず傍若無人なふるまいをしていたら、それはまぎれもなく無教養です。
また、自分のことを大きく見せるための嘘やパフォーマンス、自分の商売の重要性を誇張した誇大広告も、これと同列と考えて良いでしょう。
4.働けるのに働かないこと
教養はただ書斎の中で引きこもって身に付けるものではなく、人や社会に施しをするという実践的な活動の中で、血肉となっていきます。
にもかかわらず、働かないことは素晴らしいことだと賛美したり、働く必要がないことを自慢気に語ることは、どこか心の繊細さにかけてはいないでしょうか。
一方十分な教養を身に付けた人は、自分が働くことによって、自分以外の誰かを助けられないだろうかと常に考えているものです。
5.仕事の奴隷になっていること
教養の獲得において、働くことは重要な要素ではありますが、やりすぎは怠惰と同じくらい好ましくないものです。
やりたくてやっているという人もいるでしょうが、その心の奥底に、名誉心や貪欲な心があるとするならば、それらは教養の2大天敵というものです。
真に教養ある人は、それらと全く違うことに価値を置いているため、いかなる時も心に焦りはなく、穏やかな精神状態を保っています。
6.金銭に対して誤った認識をしていること
贅沢の為にお金を浪費したりすることはもちろん良くないことです。しかし一方、お金自体を悪いものだと軽蔑したり、使うべきところに使わないのも無教養です。
お金は人生の目的ではありませんが、自分が向かうべきところにたどり着くための手段であることは、正しく認識しておくべきです。
7.立場の弱い人に対して高慢な態度を取ること
本当に教養ある人は、自分の社会的・経済的立場から、決して偉そうな態度を取ることはありません。もしそういう態度を取る人がいたとしたら、自分よりも立場が上の人や、お金を持っている人に対して、どこか引け目を感じているのでしょう。
一方完全に洗練された教養の持ち主は、交わる相手が誰であろうと、いつも親切な態度を示します。特に立場の弱い人、自分を頼ってくる人、困っている人には、相手に配慮した対応を心掛けます。
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ヒルティは、真の教養人になるのは時間もかかるし、忍耐も必要なので、一足飛びに行ける領域ではないと言います。
若いうちから完成されているのは逆に良くありません。若い時に特に顕著になる「利己的な心」は、人間が成長し、一生懸命実を結ぼうとしている証拠であり、それにある程度従うことこそが、自然なことだからです。自分のことを一番に考えるべき時期だということです。
その時期を通過すると、自分中心に生きているのが嫌になってきて、世のため人の為に生きていきたいという新たな本能が芽生えてくるので、今度はその本能に従って生きればいいのです。

幸せになる勇気
1.ライフステージ
何の波乱もなく、始めから終わりまで一直線に進むような人生、文句のつけようもないほど模範的な人生、こういった道をたどることは極めてまれなことです。
どのような人生行路にも、避けようと思えば避けることが出来た失敗や、後から挽回しようとしても決して埋められない隙間があるものです。
では何が人間の一生を完璧なものにさせないのか。それはライフステージです。つまり、人生には段階的な時期があり、その時期によって果たすべき目的や課題が異なるということです。
例えば樹木の場合であれば、春になると著しく成長し、美しく花を咲かせます。しかし実が結ばれるのは、開花の時期と同じではありません。花が散り、春が過ぎ去り、そこでようやく収穫の時期が訪れます。にもかかわらず、いたずらに早く成長させようと、自然な発育を妨げれば、その木はいじけた木になり、品質の悪い果実を実らせることになります。
これは、私たち人間も同じです。人生の時期によって大切にしなければならないこと、奪い去ってはいけないことがあります。これをよく考えた上で人生の航路を進んでいかなければなりません。
- 子供時代は子供らしさを残し、無邪気さをうばいとってまで早く成長させないこと
- 青年時代は、行動力と実行力の源となるような、新鮮さ、精神の高揚を大切にすること
- 壮年時代は、既に熟した思想と感情、そしてこれまで仕事で培ってきた自分らしさを捨てないこと
- 老年期は、これまで歩んできた道のりを静かに肯定し、更なる飛躍に備える準備期間とすること
2.1つの大きな真理
人間の生活には、必ず不幸が付きまといます。
逆説的な言い方ですが、もし幸福になろうと思うのなら、必ず不幸が必要になります。
では不幸が必要なものならば、人間にとって不幸とはどんな意義があるのでしょうか。
それは一言で言ってしまえば、人間を深くさせるということに他なりません。
「誰の目から見ても分かるほど、ゆったりとした気風、とても真似できないと思わせるほどの人間としてのスケール、こういった独特な雰囲気をまとっている人物を、見たことがあるだろう。そのような人間たちは、ほぼ例外なく自らに降りかかった不幸を、立派に耐え、乗り越えてきた者たちだ。君がもし幸福を手に入れたければ、自分の身に降りかかる不幸や苦痛を恐れるのではなく、当然のものとして受け入れる覚悟を持たねばならない。幸福とは君の行く手に横たわる獅子のようなものだ。大抵の人はこれを一目見て引き返し、幸福に劣る、つまらない何かで満足してしまう。君の抱いている恐怖心、それは豊かな想像力が作り出した幻に過ぎない。人間の想像力は、いつも現実以上の恐怖を見せ、私たちの歩みを止めようとするのだ。そして今君が感じている苦しみや痛みは、あらゆる幸福への入り口となっている。今こそ恐怖を捨て、勇気を持たねばならない。なぜなら幸福の獲得において、勇気こそが、最も欠かせない人間の性質だからである。」
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本書に興味を持っていただいた方、詳細は 『幸福論』をご参照ください。
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