バートランド・ラッセル 著『幸福論(ラッセル)』は、世界3大幸福論の一つであり、人は何が原因で不幸になるのか、何をすれば幸福になるのか、現代人の多くが思い悩んでいるテーマを扱う世界的な名著です。
著者のラッセル氏は、英国元首相のジョン・ラッセルを祖父にもつイギリスの名門貴族出身で、自身は世界的数学者であり、哲学者であり、ノーベル文学賞受賞者でもある、「20世紀最高の知性」と言われた方です。
しかし若き日の彼は、自分なんて生きていても仕方がない、いっそのこと自分の命を投げ捨ててやりたいと、深く思い悩んでいました。そんな彼を救ったのが、数学に対する興味・情熱でした。そして年を重ね、人生を歩んでいく中でゆっくりと、不幸という泥沼から抜け出し、幸福に生きる方法を学んでいきました。
彼と同じような境遇にある方、悩みを抱えている全ての方へ、本書を次の3つのポイントでご紹介します。
- 不幸な人
- 不幸の要因
- 幸福をもたらすもの
目次
不幸な人
不幸になってしまう人の最大の原因は、自己没頭です。自分の事ばかりに気持ちが向いてしまうと、人はどうしようもなく不幸になります。
自己没頭には様々な種類がありますが、大きく3つのタイプが存在します。罪びと、ナルシスト、誇大妄想狂の3つです。
1.罪びと
何か悪いことをした罪人を意味しているわけではありません。自分はダメな人間だと、常に自分に非難を浴びせているような、罪の意識に取りつかれた人間のことを意味しています。
こういう人は、本来自分はこうあるべきだという理想像と、ありのままの自分との間にある大きな差に苦しんでいます。
特に幼い時、自分の親から「あれもしちゃダメ」「これもしちゃダメ」と刷り込まれて育った人は、大人になっても、心の奥底ではその禁止令に縛られ続けているものです。
このような人たちが幸福に生きるためには、その呪縛から真に解放されなければなりません。
2.ナルシスト
ナルシシズムとは、自分自身を賛美し、人から賞賛されたいと願う習慣を本質としています。ナルシシズムの度が過ぎると弊害でしかありません。
世間から賞賛されたいとばかり考えている人間は、それを達成出来たとしても完全な幸福を得ることは出来ないでしょう。虚栄心はある限度を超えると、あらゆる活動を純粋に楽しむ気持ちを殺し、必然的に無気力と退屈をもたらします。結局のところ、自分に自信がないとこうなってしまうのです。
この問題を解決するには、自尊心を育てることにつきます。そのためには、自分が本当に好きなことを立派にやり遂げるしかありません。
3.誇大妄想狂
誇大妄想狂は、権力を求め、愛されることよりも、畏れられることを望みます。権力に対する欲求は、虚栄心と同じように正常な人間としての要素の一つではありますが、度が過ぎたり、現実的ではないほど権力を求めてしまうと、非常に厄介です。
例えばアレクサンダー大王は数々の偉業を達成しましたが、それと同時に自分自身の夢も大きく拡大していきました。自分が世に知られる偉大な征服者であることが明らかになった時、自分をまるで神であるかのように思い始めました。彼は大酒飲みで、猛烈な癇癪持ちで、女性に無関心で、自身を神とみなすような態度を示したことを考えると、彼が本当に幸福な人間だったとは思えません。
人間らしさのことごとくを犠牲にして、何か一つの要素を開発したところで、究極の満足は得られるものではありません。

不幸の要因
不幸になる要因は色々ありますが、そのうちの3つをご紹介します。
1.競争
人生の主要目的として競争を掲げるのは、あまりに冷酷で、執拗で、肩ひじの張ったひたむきな意思を要する生きざまです。
確かに、「成功した」という気持ちを得られれば、生活は楽しいでしょう。
例えば無名の画家が才能を世に認められたら、以前よりも幸福になる見通しがあると言えます。ただ、成功することも、お金を手にすることも、ある一点を超えてしまえば、それ以上幸せが上乗せされていくというわけではありません。
成功は、幸福の一つの要素でしかありません。それを得るために、自分の健康、自分の家族など、他の要素の全てが犠牲になったのであれば、その代償はあまりにも大きいと言えます。
競争はたえず加速するものであり、それに囚われ続けていてはきりがありません。そこから脱却するには、バランスの取れた人生の理想の中に、健全で、静かな楽しみの果たす役割を認めることにあります。
2.妬み
妬みは人間の情念の中で、最も普遍的で根深いものの一つです。また、普通の人間性の特徴の中で、妬みこそが最も不幸なものです。
例えば貴方が何不自由のない収入を稼いでいるとしましょう。それで貴方は満足するべきですが、どう見ても貴方よりも優秀ではない人が、貴方の2倍稼いでいるという情報を耳にしたとします。その時あなたが妬み深い人間であれば、貴方の収入に対する満足が色褪せ、不公平感にさいなまれるでしょう。
貴方がどれだけ成功の道を突き進んだとしても、妬みから逃れることは出来ません。なぜなら、歴史や伝説の中には、いつも貴方よりも成功した人間がいるからです。妬みの情念から解放されたければ、今すぐ他者との比較をやめましょう。
また不必要に謙遜することも、妬みと大いに関係があります。一般的に謙遜は美徳の一つとして考えられていますが、謙遜のし過ぎは美徳でも何でもありません。そういう人は、周りの人より自分の方が下だと信じ込んでおり、妬みを抱きやすく、その妬みによって不幸になったり、悪意を持ったりしやすいのです。
妬みというのは、人間であるが故の苦しみであり、完全なる悪魔とは言えません。そうであるなら、人間は、自己を超越することを学び、宇宙の自由を獲得することを学ばなければなりません。つまり私たち人間は、宇宙の広さを想像し、己の小ささを自覚し、物事を客観的に眺めることで、妬みという苦しみから解放されるよう努めるべきだということです。
3.世評に対する怯え
誰かからどう思われるとか、どう見られるとか、周囲の目線や雑音に対して怖れを抱くことは、自分を抑圧し、成長を妨げます。その怖れがある限り、いかなる偉業も達成することが出来ないし、幸福を成り立たせる精神の自由の獲得も困難です。
犬は自分を怖れる人間に対して吠えたり噛みつきますが、世評もそれと同じく、怖れるものに対して牙をむきます。
つまり世評に無関心というのは一つの力であり、幸福の源泉でもあります。
例えば、今働いている環境がどうもなじまないという若者は、自分の気心が合った仲間が得られやすい仕事を選ぶべきです。仮に収入が相当減ろうが、そんなことを気にしている場合ではありません。若いうちはそういう選択肢もあるのです。
私たちの生き方は、知り合いや親族の意向で決まるものではありません。私たち自身の深い衝動によって生きる道が切り開かれていきます。そういう経験が、幸福にとって必要不可欠なのです。
(ラッセル氏自身は、生涯に4回の結婚と2回の投獄を経験されています。4回目の結婚は80歳の時、2回目の投獄は89歳の時だったそうです。生涯、自分の信じる道を走り続けた彼の言葉には、強い説得力がありますね。)

幸福をもたらすもの
幸福をもたらすものは色々ありますが、そのうちの3つをご紹介します。
1.仕事
仕事は嫌なものもありますし、多すぎるのもしんどいものです。一方で、何もすることがない状態は、それ以上に辛いものだと思います。何か仕事があるということは、退屈の予防策としてもいいし、休日もその分楽しくなるので、全然仕事がない状態より、まだ幾分か幸福でしょう。
しかし仕事が面白い場合は、単なる退屈しのぎとは違ったもっと大きな満足が得られるものです。仕事を面白くする要素は、次の2つです。
① 技術を駆使すること
必要とされている技術が変化に富み、無限にレベルアップすることが期待でき、熟練を要する技術が求められるような仕事です。
② 建設性があること
最初にでたらめだったものが、最終的には一つの目的に具体化されるような仕事です。何かを作る仕事には、完璧な完成形がありません。
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幸福な人生を手にするためには、人生の目的が首尾一貫していなければなりません。首尾一貫した人生の目的というのは、仕事において具現化されるものなのです。つまり、人生と仕事の目的を一致させよということです。
2.私心のない興味
私心のない興味があると、気晴らしにもなりますし、人生におけるバランス感覚を保つのにも役に立ちます。
この短い人生に、分かる範囲のことは何でも分かっておきたいものです。たとえ分からないことであろうと、不完全なものであろうと、それを知ろうとしないのは勿体ない。
この世界は不思議なことだらけで、謎に満ちています。この壮大なスペクタルに対して一切興味を示さない人は、人生の特典の一つを失っているといえるのではないか。
自分の職業、自分の仕事、自分の仲間内等は、人間活動のほんの一部に過ぎません。もっと視野を広げ、色々なことに興味を持ち、人生のバランスを保つべきです。
また私心のない幅広い興味は、悲しみを癒す効果があります。人生における悲しみとは、誰でも避けがたく、常に覚悟しておかなければなりません。しかしそれをただ受け入れるのではなく、それを避けることや、悲しみ自身を小さくすることに、最大限の力を注ぐべきです。私心のない興味が、それを可能にしてくれます。
3.努力とあきらめ
何ごとも中庸が大事だといいますが、それは面白くありません。しかし物事の真理とは、いつも面白いわけではありません。中庸とは真実の教義です。
例えば努力と諦めの2つのバランスを考えてみましょう。幸福とは、熟した果実が偶然口の中に落ちてくるようなものではなく、自分で努力しないと獲得できないものです。しかし、努力だけしていれば幸せになれるかというと、そうではありません。諦めるということも、幸福の獲得において大切な役割を果たします。本当に賢い人は、自分で防げる不幸を防ぎ、自分ではどうしようもない不幸に、貴重な時間と感情を浪費しないように努めます。
諦めには2種類あります。1つは「絶望」に根差すもの、もう一つが「不屈の希望」に根差すものです。前者はダメな諦めで、後者は良い諦めです。
自分の活動がうまくいかなかろうが、挫折しようが、挑戦したことは決して無駄ではありません。自分以外の誰かに希望を与えられたかもしれない、人類にとってプラスになったかもしれない、そういった希望に根差した諦めは敗北ではありません。己の真実の姿に向き合い、人生を歩んでいこうとする人間には、ある種のあきらめがあるものです。
こういった生き方は苦痛を伴いますが、自分に嘘をつき自分をだましながら生きたとするならば、その先にあるのは失望と幻滅です。それを唯一防ぐものが、希望に根差した諦めです。
毎日自分をだましながら生きる努力程疲れるものはありません。それを捨て去ることが、確かで永続的な幸福を獲得するために不可欠です。

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本書に興味を持っていただいた方、詳細は 『幸福論(ラッセル)』をご参照ください。
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