世の中には、恋愛や結婚を避けようとする人がいます。
もしも恋愛がたやすいものであり、失恋というようなつらい経験をすることが決してないのであれば、恋愛や結婚を避けなければならない理由はありません。反対に、恋愛が困難なものであり、自分の思いは決して相手に伝わらないのであれば、恋愛などしないでおこうと決心する人がいても不思議ではありません。自分の気持ちを打ち明けなければ、そもそも人を好きにならなければ、失恋するというような痛い目に合わなくて済むからです。
しかし、理由もなく恋愛を避けることは出来ません。その事を正当化してくれる理由が必要です。そのため、「アイはこんなものよ」と愛に対してシニカルになる人がいます。斜に構え、人を好きになることなど恥ずかしいことだと考える人です。
このような人は、おそらく過去に失恋等痛い目に合っているので、次にまた同じ目に合うことがないように愛から遠ざかろうとしているのです。しかし、恋愛がうまくいかなかったことが自分に何か問題があったからだと思いたくないので、恋愛自体に価値がないと言わなければならないのです。
幸福は対人関係の中で得られる
ではなぜ、恋愛を避けようとすることが問題なのでしょうか。確かに、恋愛は自分の想う通りにはいかないことが多く、傷つくような経験をすることがあります。そもそも恋愛関係に限らず、どんな対人関係も面倒で難しいものです。誰かと関われば、嫌われたり憎まれたりして、傷つくことを避けることは出来ません。どんな対人関係でも、何らかの摩擦が生じるものです。
しかし、他方、生きる喜びや幸福も対人関係の中でしか得ることは出来ません。どれほど痛い目にあったとしても、しばらくすると、気づけばまた誰かを好きになっている。これは、本音では恋愛という対人関係の中でこそ幸福になれると思っているからです。
総じていえば、結果として不幸になることはあっても、誰かを愛し、結婚しようと思う時、幸福になることを願わない人はいないのです。そうであるならば一体、どこで間違いが起こるのかを考えてみなければなりません。
なぜあなたの恋愛は幸せをもたらさないのか
恋愛における対人関係も、他の対人関係とは別の、何か特別なものというわけではありません。職場での対人関係や友人との関係と基本的には同じです。ですから、付き合っている人はいるけれど友達はいないとか、好きな人の事ばかり考えて前ほど仕事に熱心ではなくなったというようなことは本来的にはあり得ないのです。しかし、どの関係も全く同じかというとそうではありません。
仕事における対人関係
職場における対人関係は、一度職場を後にすれば、翌日までは一旦考えないでおくことが出来ます。実際には、帰宅後も昼間の対人関係を思って憂鬱な気分になり、プライベートな生活にまでわずらわしさを引きずることもありますが、本来的には職場を後にすれば職場での対人関係を切り離すことは不可能ではありませんし、切り離さなければならないとも言えます。
友人との関係
職場や学校での対人関係がきっかけになって、仕事や勉強にとどまらず、個人的な話をするようになることがあります。この関係はもはや仕事(勉強)の関係ではなく、交友関係です。この人とだったら一緒に仕事をしたいと思うような人がいれば、その人との関係は仕事での付き合いというよりは、限りなく交友関係に近いと言えますし、交友関係と言ってもいいくらいです。
恋愛における対人関係
恋愛や結婚における対人関係は、基本的には、この交友関係が基礎にあります。ですから、交友関係を築けない人にとっては、恋愛や結婚における対人関係も難しいものになります。しかし基本的に同じとはいえ、恋愛や結婚における対人関係は、仕事上の対人関係や交友関係よりも関係が近く、その上、長く続くので、さらに難しいものになります。
どうせ愛してもらえない
好きな人にためらわず声をかけられるような人は悩みませんが、好きな人に告白しても受け入れてもらえるはずはないと思う人は、自分の気持ちを伝えることをためらいます。
「自分に価値があると思える時にだけ勇気を持てる」
(by アルフレッド・アドラー)
「勇気」とは、対人関係の中に入っていく勇気の事です。対人関係に入るのになぜ勇気がいるのかと言えば、自分の思いを受け入れてもらえるか分からず、受け入れられなかったとき、傷つく可能性があるからです。
人と関わることで傷つくことを怖れる人は、対人関係の中に入っていこうとはしません。好きな人に自分の思いを伝えても受け入れてもらえないということは、残念ながらあります。そこで、自分の思いを伝えないことを自分で納得できるよう、自分について低い評価をします。自分でも自分のことが好きでないのに、どうして他の人が自分を好きになるだろうと考えるのです。
しかし、対人関係の中でこそ生きる喜びも幸福も感じることが出来るのですから対人関係の中に入っていく勇気を持ちたいのです。
愛することは能力である
出会いがないから恋愛や結婚が思うようにならないことの理由にする人がいます。それでは、で愛さえあれば恋愛はうまくいくのでしょうか。そう思っていた人でも、実際に誰かと付き合い始めると、出会いは出発点に過ぎないことにすぐ気が付くはずです。
「愛の問題とはすなわち対象の問題であって能力の問題ではない。愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手、あるいは愛されるにふさわしい相手を見つけることは難しい ー 人々はこんな風に考えている」
(by エーリッヒ・フロム)
多くの人は、愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手を見つけることは難しいと考えています。しかしフロムはそうではないと言います。フロムは、大切なのは相手を見つけることではなく、相手を「愛する能力」だと言っています。
愛は技術である
出会いがあっても、そして、付き合いが始まっても、また結婚しても、関係を育む努力をしなければ、関係は続きません。愛は能力の問題であって、更には技術であるとフロムは考えます。そして、技術だとすれば、知識努力が必要だと言っているのです。
誰かを愛していても技術がなければその愛は無力です。他方、愛がない技術は危険なものになります。たとえ相手を狂おしいほど愛していても、愛し方を知らないために、喧嘩がたえず、相手に憎しみを抱くようにまでなれば、恋愛はただただ苦しいものとなって、人は幸福になることは出来ません。
ライフスタイルを変える勇気を持つ
思考の癖、世界の見方の事を、アドラーは「ライフスタイル」と呼びました。これは普通には性格と言われるものであり、それとほぼ同義です。しかし、性格という言葉を使うと、生まれつきのもので変えにくいと思われるので、ライフスタイルという言葉を使います。
このライフスタイルは生まれつきのものではなく、自分で選んだものです。なぜこのようなことを言えるかというと、同じ親から生まれ、ほぼ同じ生育環境で育った兄弟の性格が同じにはならないからです。このことは、子供がライフスタイルを自分で選んだからだとしか説明できません。
自分で選んだのですから、その気になれば、ライフスタイルは、今この瞬間に変えることが出来ます。もしも今のライフスタイルが恋愛を不幸なものにしているのであれば、ライフスタイルを変える勇気を持たなければなりません。
参考文献:岸見 一郎 著『愛とためらいの哲学』(発売日:2018年2月15日)
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