現状がどうであれ、こうありたい、こうあるべきだという方向に目を向けることは、いわば光を当てることに似ています。闇はものではないので、それを取り除くことは出来ません。闇を取り除くためには、光を当てればいいのです。恋愛においても同じように、闇(問題点)を取り除こうとするのではなく、光を当てる(正しい愛し方を知る)ことこそが必要になります。
あの人は嫌いだけど、あなたは好き?
フロムは、人を愛することは能力であると言いました。この能力は特定の誰かだけを対象にするものではなく、他の人を排除するわけでもありません。例えば自転車に乗る能力がある人は、どんな自転車にでも乗ることが出来ます。愛の能力もこれと同じです。
「あの人は嫌いだけど、あなたは好き」という人は、愛する能力を持っているとは言えません。そもそも、「あの人は嫌いだけど、あなたは好き」と言われても、少しも愛されている気がしないのではないでしょうか。これは、「あなたは好き」という「パーソナルな愛」(特定の誰かへの愛)の表現ではあっても、「インパーソナルな愛」(不特定多数への公平な愛)が欠如しているからです。
あなたのことも、他の人も愛することが出来るけれども(インパーソナルな愛)、あなたをほかの誰よりも愛する(パーソナル)というのが本来の愛の形であり、インパーソナルな愛がパーソナルな愛の基礎になければなりません。パーソナルな愛というのは、インパーソナルな愛を知った上で、他の人に変えることが出来ない無二の私が、無二のあなたを愛するということです。
愛は「流れ」である
愛は持つことは出来ず、経験されるだけです。その経験は、いわば不断に流れるものであり、刻々と変化します。
愛は持つことが出来ませんから、一度誰かを愛したからといって、それで終わりにはなりません。つまり、愛はそのまま保たれるわけではないということです。
愛が経験である以上、愛を更新していく努力が不可欠です。しかしその努力は、相手と良い関係を築くことを目標とするので、決して苦痛ではないはずです。むしろ、それは喜びとしての努力です。
「持つ」ことと「ある」こと
フロムは、人間が生きているうえでの2つの基本的な存在の仕方、即ち「持つ」ことと「ある」ことを区別しています。
「持つことにおいては、持っているものは使うことで減るが、あることは実践によって増加する」
愛は典型的な「ある」ことです。人間の愛は更新の必要はあっても、所有されるものではなく「ある」ことなので、枯渇することはないということです。
未成熟な愛
お金や物の所有にこだわる人は多いです。
「ひたすら貯めこみ、何か一つでも失うことを怖れている人は、どんなにたくさんの物を所有していようと、心理学的に言えば、貧しい人である」
(by フロム『愛するということ』)
貧困がある程度を超えると、与えることが出来なくなり、与える喜びを失うことになります。しかし、そのような場合でも、与えることは出来ます。与えることの最も重要な部分は、物ではなく、人間的な領域にあるからです。
「自分自身を、自分の一番大切なものを、自分の生命を、与えるのだ。・・・自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ。このように自分の生命を与えることによって、人は他人を豊かにし、自分自身の生命感を高めることによって、他人の生命感を高める」
(by フロム『愛するということ』)
子供は親に愛されますが、親の子供への愛は無条件ですから、子供の側が愛されるためにしなければならないことは何もありません。この経験は受動的なものです。
子供にはやがて、ただ親から愛されるだけではなく、自分も何かすることで愛を生み出せるという新しい感覚が芽生えます。
「生まれて初めて、愛という観念は、愛されることから、愛することは、即ち愛を生み出すことへと変わる。」
(by フロム『愛するということ』)
幼い頃は、小さく、無力で、また病気であることで、また良い子供であることで愛されようとしますが、思春期になると、愛することを通じて、愛を生み出す能力を自分の中に見出します。
「幼稚な愛は『愛されているから愛する』という原則に従う。未成熟な愛は『あなたが必要だから、あなたを愛する』と言い、成熟した愛は『あなたを愛しているから、あなたが必要だ』という」
(by フロム『愛するということ』)
しかし、成熟した愛に到達していない人は多いように思います。
依存関係にならないために
大切なのは、「自分は1人でも生きられる。それでも2人でいた方が、同じ経験を共有する喜びを持つことが出来る」と考えることです。お互いがそう思うことができれば、2人は依存関係ではない、理想的な愛の関係を築くことが出来ます。相手に愛されないからといって、自分が消えるわけではありません。相手が愛してくれるから、自分が存在するのでもありません。相手の存在が、自分の存在を強めてくれると考えるのです。
二人は共鳴する
人は決して一人で生きているのではなく、他者との関係の中にあります。他者に支えられ、同時に、人は他者を支えて生きています。このような在り方を「相互共依存状態」という言葉で表します。これはいわゆる共依存ではありません。
相互依存状態において、各自は自立しているのですが、存在の次元では自分だけで完結しているのではなく、自分が完成するためには他者を必要とし、他者も自分を必要とするので、自分もまた他者を支えなければなりません。そこには支配、被支配関係はありません。自分が持てるものが、しかるべき相手の中で共鳴し、自分もまた共鳴します。かくて、例えいつも一緒にいなくても、また、遠く離れていても、お互いに影響を及ぼし合うことが出来るのです。
愛は、共鳴し合い、お互いの心で感じ合える関係においてはじめて成立するのです。
勇気を持つ人だけが、愛を実現できる
アドラーは、勇気のある人は愛における真のパートナーになると言っています。そのような人は愛を失うことを怖れませんし、パートナーの人生を豊かにすることを望むことが出来るからです。
「愛を確固たるものにする唯一の方法は、パートナーの人生を豊かにし、安楽にするということを学ぶことである」
(by アドラー)
愛を知る人は、自分自身よりも愛するパートナーの幸福により関心があります。私は相手に何が出来るかを考え、相手の人生を豊かにしようとするのであれば、愛を失うことを怖れる必要はありません。愛を知る人が、相手が幸福であることを願わないはずがありません。もちろん、これは自分を犠牲にするというような意味ではありません。
「態度が『与える』というものであるときだけ成功するのが、愛と結婚の不変の法則のように見える」
(by アドラー)
参考文献:岸見 一郎 著『愛とためらいの哲学』(発売日:2018年2月15日)
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