人間の意識の様々な表し方は非常に深く、かつ広範囲にわたります。意識のレベルによる影響は、明確なものから微妙なものまで様々です。
200以下の全てのレベルは、個人にとっても社会にとっても、どちらも生きていく上で破壊的です。対照に、200を超えたすべてのレベルは、建設的なパワーの表現です。200というレベルは、フォース(偽り)とパワー(真実)の領域を分ける決定的な分岐点となります。
25~100のエネルギーレベルについてはこちらを、125~250についてはこちらをご参照ください。
エネルギーレベル310:意欲
このエネルギーレベルは非常にポジティブで、さらに上のレベルへの入り口であると考えられます。
たとえば仕事において、「中立」のレベルでは適切に行われますが、「意欲」のレベルではうまく進み、全てのプロジェクトは成功することが当たり前になります。
成長も、ここで急速に早まります。なぜなら、このレベルの人々は、周りから求められて進歩するからです。「意欲」とは、人生に対する内面の抵抗に打ち勝って、前向きに生きることを意味します。このレベルになると、素晴らしいひらめきがよく現れるようになります。また、誰にでも好意をもって接する人間になれるので、社会的にも経済的にも成功は自動的についてきます。
意欲のある人は、失業にも煩わされません。どんな仕事でも引き受ける意欲があり、自分から天職を作り出したり、自営業を営んだりすることもあります。サービス業なども決して嫌がりません。誰に対しても協力的で、社会の良き貢献者となります。また、心の内面の問題に対しても前向きになるので、人生の学びに対する大きな障害はなくなります。
このレベルの人は自己尊敬の気持ちが高く、社会からの認知や感謝、見返りといったポジティブなフィードバックによって、更にそれは強化されていきます。「意欲」は、他者の求めに共感し、敏感に反応します。意欲ある人々は、社会を築く貢献者です。逆境から立ち直り、経験から学び、自己修正できる傾向があります。プライドを手放しているので、彼らは自分の欠点を知っており、他者から学ぶ謙虚さも持ち合わせています。
エネルギーレベル350:受容
このレベルは、自らが源であり、自分自身が人生のクリエイターであるという意識とともに、大きな変容が起きます。
幸せの源は自分の中にあるという気づきから、自分自身のパワーを取り戻す大きなジャンプが、このレベルにおいて完成します。更に進化した段階では、自分を幸福にする能力は「向こう側」にはなく、さらに「愛」は人から与えられたり、人から奪ったりするものではなく、自分の内からから創造されるということに気づきます。
「受容」とは人生をあるがままに受け入れることです。そこには感情的な穏やかさがあり、否定を乗り越えることで物事の見方も広がります。このレベルになると、ものごとをゆがみも誤解もなく見ることが出来ます。経験の内容が拡大され、「全体像を見る」ことが出来るのです。「受容」は本質的にバランス、割合、適切さに関係します。
「受容」のレベルにある人は、正しいか間違っているかを決めることに関心はなく、その問題の解決策を見つけ出すことに全力を尽くします。きつい仕事に対して不快に感じたり、うろたえたりしません。長期目標が、短期目標より優先します。自己を鍛錬し、物事に精通する能力が際立ってきます。
「受容」のレベルに達すると、争いや抵抗によって二極化することはありません。このレベルでは差別や不寛容さから解き放たれます。
エネルギーレベル400:理性
低いレベルの感情を超越できると、真っ先に現れるのが知性と合理性です。理性があると、複雑で膨大な量のデータを扱うことが出来ます。すなわち迅速に正しい判断をすることが出来ます。
このレベルでは、知識と教育が「財産」として求められます。理解と情報が達成の重要な手段となることが、400レベルの特徴です。これはノーベル賞受賞者や偉大な政治家、最高裁判長といったレベルです。アインシュタインやフロイト、そして歴史に残る偉大な思想家の多くがこのレベルで測定されます。
このレベルの短所は、概念や理論に夢中になり、「木を見て森を見ず」の状態になりやすいことです。理性を働かせること自体が、最終目的となりうるのです。「理性」には限界があります。その範囲内で本質や複雑な問題の重大なポイントを見抜く力はありません。それに加えて、理性は通常「前後関係」を見落としやすいです。
「理性」だけでは真実を見出すことは出来ません。理性は膨大な量の情報と資料による裏付けを生み出しますが、そのデータと実際に起きる結果の矛盾を解決する能力には欠けています。このレベルを超越できる人は世界人口のたった4%に過ぎず、私たちの社会では極めて難しいことなのです。
エネルギーレベル500:愛
私たちが通常「愛」と呼んでいるものは、肉体的な魅力や所有欲、コントロール、嗜癖、エロチシズム、目新しさ等が合わさった激しい感情的な状態を指しています。とてもはかなくて壊れやすく、満ちては引く潮のように状況によって変化します。愛が憎しみに代わることは良く知られています。それはここでいう「愛」ではなく、むしろ依存的で感傷的な類のものと言えます。そのような関係性には本当の愛はおそらく存在せず、プライドによる憎しみから生じているのでしょう。
500レベルは、無条件かつ不変で永久的な愛の発展によって特徴づけられます。その源泉は外部の要因に依存していないので、決して揺らぎません。
愛することとは、心の在り方です。世界に対して許し、養う、サポート的な在り方です。「愛」は、理性や頭から発せられるものではありません。ハートから発せられます。その動機の純粋さ故に他の人達のエネルギーも引き上げるなど、「愛」には極めて大きなパワーがあります。
このレベルに達すると、物事の本質を識別する能力に優れてきます。問題の真髄がフォーカスの中心となります。理性を使わずとも、問題の全体性を瞬時に認識する能力が生まれます。
それに加えて、特に時間とプロセスに対する捉え方がそれ以下のレベルよりも大きく拡大します。この能力は、よく直観に関係しているとみなされています。その理由は、連続して現れる象徴を頭の中で解読するのではなく、直観で捉えるからです。
「愛」は生きとし生ける全ての存在のありのままの表現の素晴らしさに焦点を合わせて、ポジティブさを増大させます。ネガティブなものを攻撃するのではなく、それをリセットすることによって解消するのです。
エネルギーレベル540:喜び
「愛」がますます無条件の質へと変わるにつれて、あなたの内側から喜びが湧き出ることを経験するでしょう。これは、全ての行動に常に伴い、一瞬一瞬の中に感じられるものです。
540以上のレベルは、聖者や高度な精神の探求者、ヒーラーなどの領域です。このエネルギーフィールドの特徴は、長引く逆境に直面しながらも、大きな忍耐力で積極的な態度を根強く持つことです。この状態の証となるのは「慈愛」です。このレベルに達すると、他の人々にはっきりとした影響を与えます。このレベルに達した人たちは、長時間相手の目をじっと見つめることで、人々を愛と平和の意識に導くことが出来ます。
このレベルにおける人間の、他者に対する責任感は、低いレベルで示される責任感とは質が異なります。特定の人間のためではなく、むしろ生命そのもののために意識を使う願望があります。多くの人々を同時に愛することが出来る能力は、愛が深まれば深まるほど、自分の「愛する能力」の領域の広大さを発見することになります。
エネルギーレベル600:平和
このエネルギーフィールドは、「超越」「自己実現」「神意識」と呼ばれる状態に関係しています。これは非常にまれです。
この状態に達すると、至福の状態が連続して起こるため、自らを世界から切り離し、通常の生活をやめてしまうことも少なくありません。ある人は、スピリチュアルな指導者となります。人類の改善のために匿名で活躍する人もいます。また、各々の分野で偉大な天才となり、社会貢献をする人たちも生まれます。これらの人々には神々しさが満ちており、いずれは公に聖人として認められるかもしれませんが、このレベルでは一般によく知られている宗教を超越し、全ての宗教が由来する純粋なスピリチュアリティへと変わっていきます。
エネルギーレベル700~1000:悟り
これは歴史上の偉大なマスターのレベルであり、昔から数知れない人々が従ってきた霊的な教えを創造した人たちのレベルでもあります。すべてが「神の意識」につながっていて、時に彼らも神と同一視されます。
また、これは強力な霊感のレベルです。このレベルでは自他が分離せず、むしろ自己の意識と神の意識が一体化します。この自我を調節することは、自らが模範となって達成可能であることを他者に教えることになります。これは人間の範囲における意識の進化の頂点を示します。
このレベルの気づきでは、「私」という肉体的な区別はもはや存在せず、自分という存在の運命に全く関心を持ちません。肉体は、コミュニケーションするために心が介入する意識の単なる道具にすぎないように認識されます。個という小さい自己は、大いなる自己に融合して戻っていきます。これは二元性が全く存在しないレベルであり、完全なるワンネスのレベルです。意識が局部に集中することはなく、いたるところに平等に存在しています。よく知られている偉大なアバターとして、主クリシュナ、主ブッダ、そして主イエス・キリストがいます。
参考文献:デヴィッド・R・ホーキンズ著『パワーか、フォースか 』(発売日:2018年6月15日)
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