人間の意識の様々な表し方は非常に深く、かつ広範囲にわたります。意識のレベルによる影響は、明確なものから微妙なものまで様々です。
200以下の全てのレベルは、個人にとっても社会にとっても、どちらも生きていく上で破壊的です。対照に、200を超えたすべてのレベルは、建設的なパワーの表現です。200というレベルは、フォース(偽り)とパワー(真実)の領域を分ける決定的な分岐点となります。
世界人口におけるそれぞれのエネルギーレベルを表すと、人類の85%が200という臨界点のレベルより下で測定されるので、現在の人間の意識の総合的なレベルは、平均しておよそ204となります。大衆の最低部に位置する大多数の弱い人間は、トップに近い比較的少数の人々によって釣り合いが取れています。
世界人口の8%の人達だけが400の意識レベルで、4%の人たちだけが500かそれ以上に達していて、600かそれ以上の意識レベルに達しているのは数千万人に1人です。
ほとんどの人がもはや生きながらえているだけのような状況にあるということが、すぐに連想できるはずです。飢餓と病気は当然のようにあり、独裁政治が行われ、社会資源に乏しい状態です。多くの人々が、「無気力」のレベルで測定される絶望感を感じながら貧困生活を送っているということにも気付かなければなりません。
世界の残りの人口のほとんどは、文明化された社会であるか否かを問わず、主に恐怖の中で生きているということを理解しなければなりません。ほとんどの人は、安全を求めることに人生を費やすようです。
ただ「生存するだけ」という状態を超えた人々には、ある程度の選択が可能となります。しかし、結局欲望のために動き回る世界経済の材料に過ぎず、どんなに頑張ってこれらの欲望を満たしても、所詮「プライド」に導かれるだけです。250で、人間の意識にやっと何らかの意味が現れ始めます。
文化的な相互関係
エネルギーフィールドが200以下の場合、何とか生きながらえている原始的な状態が最も一般的に見られます。衣服は貧しく、文盲は当たり前、幼児の死亡率は高く、広範囲にわたって病気と栄養失調が起きており、政治的社会的勢力の負担もあります。技術は未発達で、燃料と食物、寝場所を確保することが中心となり、その場しのぎの状況です。
200レベルの下部にいる人々は、初歩的な物々交換など、技術を必要としない労働が中心です。単純なものを作り、遊牧民的なライフスタイルで移動性が現れ始め、それから農業が現れ、人々は通貨のようなものを使った物々交換に発展します。200レベルの中部は、限られたスキルを必要とする労働に関係します。初等教育も始まります。200レベルの上部では、スキルを必要とする労働で、技術系労働者、商人、小売業者、産業に代表されます。
300レベルでは、技術士や高度なスキルを持つ職人、日々の業務に就くマネージャーなど、洗練されたビジネス構造が見られます。中等教育の収量は一般的になります。このレベルではテレビは素晴らしい娯楽となります。
300レベルの中部では、人々は社会的な出来事について詳しい知識を持っています。腕の良い職人や会社の責任者、教育者などが見られます。このレベルでは、社会的対談に関心が注がれます。文明社会の中で適応するスキルと情報収集によって、生活は保障されます。社会的地位を変えることが出来る柔軟性があり、資源もあります。人々は旅行をしたり、他の刺激的なレクリエーションを楽しんだりすることが出来ます。
400レベルは、知性が目覚めるレベルです。真の教養、高度な教育、知的職業階級、管理職や科学者が見られます。低いレベルでは欠けていた読み物や雑誌、定期刊行物などがぎっしり詰まった本棚も、家庭においてみられるようになります。レクリエーションとしては、チェスや旅行、演劇、コンサートなどが好まれます。民間企業では、深刻な社会的環境に対して注意を払うようになり、それを改善しようとする意識が生まれます。最高裁判長や会社の社長、政治家から発明家、そして産業界のリーダーたちが、この一般的な領域を占めています。400レベルの高い位置は、それぞれの分野のリーダー層です。
500レベルは、まだ個人の生活にとらわれてはいますが、「愛」が動機となっているので、全ての活動が色づき始めます。このレベルの人々に共通するのは、スポーツから科学研究に至るまで、あらゆる分野で優秀であるということです。他者を愛することは彼らの大きな動機付けとなります。リーダーになろうとしなくても、皆から求められるようになります。500の中部にいる人々の多くは深い霊的体験をしていて、精神的な追及に没頭するようになります。500レベル上部では、それぞれの分野で社会の模範となり、深い思索によって人類のために新しいパラダイムを創造するリーダーたちに現れます。
600で測定される範囲まで、かなり飛躍をする人がいます。その人の一生は伝記として残ることもあります。600の意味は「慈愛」であり、その「慈愛」がその人の動機と行動に満ちてきます。
意識の発達
人々が生涯かけて、1つのレベルから別のレベルへと移るのは珍しいことです。生まれた時に測定された意識のレベルのエネルギ-フィールドは、生涯を通して平均約5ポイント増加するだけです。
ほとんどの人たちは元から持っていたエネルギーフィールドの中で、自分の人生経験を異なる様々な形で表現しているにすぎません。多くの人々が内面を改善しますが、それ以上のフィールドに超越するのは稀です。その理由は、人間のレベルを定義するのが「動機」であることが分かれば、簡単に理解できます。動機は意味から生じています。そして、意味はその人の背景的状況に左右されます。従って達成することにはその状況による制界があり、その状況に動機が伴うことによってその人その人のパワーのレベルが決定されます。
これはもちろん統計上の数字ですが、生涯をかけても平均でたった5ポイントしか進歩できないのは事実であり、人々が積み重ねる時間の諸々の選択は、結局自分たちの意識レベルを低下させていることが多いのです。
一生において、一つのエネルギーフィールドから別のエネルギーフィールドに移ることは通常ありませんが、それでもチャンスはあります。それには、潜在能力を活性化させるという動機が必要です。選択するというアクションがなければ、どんな進歩も起きないでしょう。
測定されたパワーレベルの進展が、対数で表されていることを覚えておく必要があります。従って、個々の選択は強力な効果があります。重要なのはパワーのレベルであり、例えば361・0と、361・1の違いは非常に大きく、一個人の人生だけでなく、世界全体を大きく変えることも出来るほどなのです。
参考文献:デヴィッド・R・ホーキンズ著『パワーか、フォースか 』(発売日:2018年6月15日)
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