学歴はあるけれど、賞味期限が切れていて買い手がつかない?一時はエリートと呼ばれ、順風満帆な人生を歩んでいたかと思えば、30歳を過ぎてもまだ無職・・・。長年の努力は評価してもらえず、居場所を求めてさまようことになってしまった「高学歴難民」。
近年、高学歴ワーキングプアーが社会問題になっています。学歴社会は変化していても、学歴社会で育ってきた人々の中には、未だに根強い学歴信仰が残存しています。学歴は、子供時代を犠牲にしてまでも手に入れなければならないものなのでしょうか。
博士課程難民
家賃6万円のアパートをシェア、博士課程卒のセックスワーカー – 加藤絵美(30代)
加藤さんは研究職待ちの、いわゆる「ポスドク」の33歳、収入は月20万円くらいです。千葉県の月6万円の家賃のアパートを友人とシェアし、東京まで通勤しています。早く本命の仕事に就きたいと思っているものの、今の生活から抜け出したいとは考えていません。十分な貯金はあり、衣食住すべてに拘りがないからです。化粧もせず、美容院にも行かず、タバコもお酒もやらずに、食事は1日1食という生活を続けています。
加藤さんは、東北の貧しい農家出身で家族は全員中卒。高学歴者はいません。小学校の時の彼女の学校の成績は常に一番で、「博士」と言われていました。運動も出来て見た目も悪くなかったので、男の子からも女の子からも好かれていました。
転機が訪れたのは中学生の時、田舎から住宅街へ引っ越した頃です。小学校時代、男の子から一番人気のあった加藤さんは、中学に入ると全くモテなくなりました。その理由を加藤さんは、年頃になり女の子らしい女の子が増えただけでなく、彼女の成績がずば抜けて良かったからだと言います。
加藤さんは塾にも行かずに猛勉強し、第一志望の県立高校に合格しました。高校入学後は、部活動もせず、修学旅行も不参加で、時間があれば学校に許可を得て「アルバイト」をしていました。東京の大学に入りたいと思っていたため、大学の受験料や交通費、入学金と部屋を借りるお金を用意する必要があったからです。とにかく現金が欲しくて、裸の写真等売れるものは全て売り、援助交際もしていました。結果、加藤さんは高校3年間で200万円以上の現金を作り、上京する切符を手に入れることが出来ました。成績は常にトップだったこともあり、第一志望の東京の国立大学にも合格します。
加藤さんは上京後、家賃を節約するために同級生の男性と同棲し、風俗で働いてお金を稼ぎ、大学院進学し、海外留学も経験しました。日本を離れた時期以外、これまでずっと、風俗のアルバイトは続けています。恋人もいますが、結婚願望はありません。平凡な家庭生活にも、贅沢な生活にも興味はありません。研究に没頭でき、誰からも支配されない生活を送ることが出来ればそれでいい。
学歴至上主義家庭に生まれ、「無職・借金1,000万円」の迷走人生 – 栗山悟(40代)
栗山さんは、誰もが知る難関有名私立大学を卒業し、同大学の大学院で社会学の修士号を取得、その後国立大学の大学院で文学の修士号を取得後、そのまま博士課程に進学しましたが、博士論文はかけないまま中退することとなり、アルバイトを重ね、現在もフリーターです。
両親、特に父親は、「学歴は名前と同じ。学歴で人格まで評価される」というのが口癖の学歴偏重主義者でした。学歴さえあればとりあえず尊敬されると。しかし栗山さんはこれまで、嫌われ、さげすまれ、笑われてきました。40歳で、社会における実績が一つもないからです。アルバイトは次々と首になり、社会運動の現場でも疎外され、1,000万円近くの奨学金の返済も半分以上残ったままです。
栗山さんの父は東大卒ですが、結局中学校の教員になりました。どんどん出世しお金持ちになっていく人を見るたび、「大した大学も出てないくせに!」と負け惜しみばかり言っていました。栗山さん兄弟は、父が選んだ東大卒の家庭教師に勉強を教えてもらっていましたが、教え方が下手で性格も悪く、兄弟そろって高校受験も大学受験も第一志望には合格していません。
栗山さんの兄は、親の期待を完全に無視し、現役で第二志望の大学に進み、大手の会社に勤務し、順調に出世して家庭も持ち、両親よりも幸せな人生を送っています。一方栗山さんは一浪し、希望の大学に入学します。この時「勝ち組」になったような気さえしていました。ターニングポイントは、大学院への進学です。ここから後戻りできなくなりました。
大学3年生の頃から作家になりたいと思い、雑誌に応募するようになりました。書くことに夢中になっていたので就職活動の時期も逃してしまいました。博士課程にも進学し、雑誌への応募も続けていたものの、反応はないまま30歳になってしまいました。他の学生の中には、早い段階で見切りをつけて出版社等に就職していく人達もいましたが、栗山さんはここでも乗り遅れ、就職のチャンスを逃してしまいました。
「生まれながらの属性や家庭環境といった、自分ではどうしようもない問題で困窮に至った人たちは、自己責任を否定し、社会が悪いと堂々と主張できるのでしょう。それに比べ、ただ、人生の選択を間違えただけの僕は、自分を責めるしかないのです。」
「落ちるに落ちれない、上がるに上がれない・・・、無敵にもなれない僕こそ最弱なのです」
(by 栗山さん)
参考文献:阿部 恭子著『高学歴難民』(発売日:2023年10月19日)
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