高いエネルギーのアトラクターパターンにアクセスする能力を特徴とする1つの意識の表れが、「天才」であると定義して良いと思います。天才というものは、人間の性格の特徴でもなく、人間が「持っているもの」でも、「である」ことでもありません。
私たちが天才と認める人たちは、大抵それを否定します。天才の一般的な特徴は謙虚さにあります。天才たちは自分のひらめきが何らかのもっと高い次元から与えられたものだと伝えています。
天才の機能を活性化させるプロセスは、一般的にはまず「ある問い」を考えつくことから始まります。質問した後、ある一定の時間待っていると、その問いに意識が働きかけます。すると突然、答えがパッと閃くのです。
しかし、その閃きは、言葉ではない形で現れることが多いようです。例えば歴史上の偉大な音楽家たちは、自分自身の心の中で聴いたことを音楽として書き留めたのであり、彼らは前もって計画することはなかったと言っています。有機化学の父と言われているF・A・ケクレは、ベンゼン環を思い付いた基本となる分子構造を夢で見たと話しています。アルバート・アインシュタインは、ある日突然革命的な直観を受けて、それを証明可能な数字に直すのに何年もかかったと述べています。
天才たちは、自分の個人的な解釈を他の人達にも理解できる形で表現しなければならないという問題を抱えています。啓示自体は、それを受け止める者にとっては完全であり、改めて説明するまでもないのですが、他の人が理解できるようにするには一生涯を費やすかもしれません。
天才として認められている人間は稀かもしれませんが、「天才」とは私たち一人一人に内在しているものです。この宇宙には、「運」や「偶然」は1つもありません。宇宙は全てが全てにつながっているというだけではなく、宇宙から取り外されている人も一人もいません。私たち全員が、宇宙のメンバーなのです。
意識は肉体と同様に、どこでもある性質だと言えるでしょう。天才も同様です。むしろ天才とは、意識の一つの特色であるからこそ、万人に共通して可能なものなのです。
創造性や天才が生まれるプロセスは、人間の意識に内在しています。ちょうど全ての人間が自分の中に同じ意識の本質を持っているように、天才は皆の中に内在する可能性なのです。ただそれ自身が表現するのに最適な状況を待っているだけです。
私たちの誰もがそれぞれの人生の中で、「天才の瞬間」があるはずです。訳も分からないまま突然、素晴らしい手段が取れたり、最適な決断をしたり、ちょうど良いタイミングで適切な言葉が出てくるようなことがあります。時には思いもよらないラッキーな出来事に、つい自分自身を祝いたくなるようなことも起きますが、なぜそれが起きたのかは理解を超えています。
天才の才能は、私たちの知覚の変化を通じて表現されることが良くあります。それは、状況やパラダイムが根本的に変化してしまうことによって起きます。心は問いを出し、解けない問題に悪戦苦闘した後に、その回答を得るために心を開きます。
ひらめきを受けることに対して謙虚であり、また感謝できる人は、天才の領域にアクセスする能力を維持できる傾向があります。インスピレーションを自分のものだとか、当然のものだと考えるエゴイストは、その能力をすぐに失うか、あるいは成功体験によって逆に没落させるでしょう。
天才の源は個々に由来していません。彼らはめったにお金や名誉に関心を持つことはありません。しかし、社会は彼らを無視したり、敵意を抱くことさえあります。私たちが天才と呼ぶ人たちの生活ぶりは、たいていの場合質素です。天才は、生命そのものに価値を見出しているので、生命のあらゆる表現の価値を捉えることが出来ます。あらゆる資源に感謝を示したり、誠意を重視したりすることが彼らの特徴としてうかがえます。時間や資源が大切だという概念から、彼らは必要以上のことは無駄だと感じています。従って、天才はとても静かな人生を送り、余程のサポートをすべき何かがある場合だけ、嫌々ながらも前に出てくるように思われます。
天才たちは無限の源につながっているので、彼らは最小限の要求しかないようです。なぜなら、既に「持っている」ものを、あえて「得る」必要は全くないからです。
天才は型破りだとか、変わり者だとか、悪く解釈されることもあります。彼らは高いエネルギーのアトラクタに沿っているので、それより低いアトラクターに沿っている人達が彼らを理解できないのも無理はありません。彼らにとって物事は、普通の人達と比べて異なる意味を持ちます。天才は私たちの理解を超える洞察によって強烈な行動に駆り立てられることもあります。
天才はスターではありません。有名になるのはほんの一握りです。そのようなステータスを得ようとしない天才も多くいます。決して注目されることもなく、正式な高等教育を一度も受けたことがない人も、実際に天才たちの中に入るでしょう。そのようなタイプの人達は、自分の才能の全てを徹底的に活用し、それに専念して高度なレベルに至るまで自分の経験を完全に活かします。
天才の特徴の一つは、周期的に表れる強烈な集中力です。彼らは駆り立てられると、頭の中のひらめきがまだ新鮮なうちに、それを何とか表現しようとして、一日のほとんどをそのことに費やすこともあります。この期間が一区切りするとあたかも停滞しているかのように見える期間を迎えますが、実はこの期間も創造的なプロセスの一部として、じっくりと発酵させるために必要なのです。
自分の天才的才能と高いIQとを勘違いして解釈していることが、自分の天才性に気づかない、または気づいても生かせない理由となっています。これは甚だしい誤解です。「天才」はある特定の人間が活動する分野内での、非常に高度な洞察力を持つ才能だとみなした方が良いでしょう。天才として知られている人達は、大抵数学や物理の分野の人々であり、実際に彼らのIQは確かに高いのです。しかし、彼らが示す分野において、学問を理解する上に必要なIQは、単なる前提条件に過ぎません。
結論として、天才は頭脳には関係ありません。能力を発揮する人達は、音楽やデザイン、発明家といった多くの分野に群がっています。しかし、革新的な創造力の才能は限られたものです。
IQは、シンボルと言葉を論理的に理解する、単なる学術的な能力を示す単位に過ぎないということを忘れないでください。IQよりも生活上の価値観を見出すことの方が、天才にとってかけがえのない条件です。
高いエネルギーのアトラクターに沿っている人間の目標と価値観が、他の何よりも天才に関係しています。天才の才能とは、忍耐、勇気、集中力であり、とてつもない活動力も含まれます。さらには、完全な誠実さがあることによって、天才の才能をもっとはっきりと特定づけることが出来ます。
最もシンプルな天才の定義として、「あなたが一番、好きなことをすべきである。能力が許す限り、それにベストを尽くすこと」という言葉が当てはまります。
参考文献:デヴィッド・R・ホーキンズ著『パワーか、フォースか 』(発売日:2018年6月15日)
Amazon
にほんブログ村
投資信託ランキング