「人生の成功」とは何か。
過去、多くの人生論において、この問いに対する様々な答えが語られてきました。この問いに対する様々な思想が語られてきました。
それらの思想を振り返るなら、そして、それらの思想の本質を見つめるなら、世の中には、この「人生の成功」について、「3つの思想」が存在することに気が付きます。
その1つが、勝者の思想です。
勝者の思想
「3つの思想」のうち、私たちが人生の最初の時期に影響を受ける思想が、「勝者の思考」です。
この思想を特徴づけるのは、「競争」という言葉。この「勝者の思想」は、人生を「競争」と考え、その競争において「勝者」となることを人生の成功と考える思想です。
我が国においては子供の頃から、成績などの客観的な指標によって、人間の優劣をつけることであると教えられます。そのため、私たちは人生の最初の時期から、この「勝者の思想」に最も深く影響を受けて育ちます。しかし、これは決して子どもたちだけが影響を受けている思想ではありません。今、世の中の多くの人が影響を受け、溢れている思想でもあります。
これには、1つの必然性がありました。「あまり競争のない社会」は、労働意欲の減退や生産性の低下、そして、企業文化の劣化などを招くからです。
しかし、私たちがこの「競争原理」を社会に導入する時、1つ落とし穴があることに気づいていなければなりません。それは、「人間観」の貧困です。
「人間観」とは、人間というものをどう見るかということ。「競争原理」を社会に導入すると、私たちは、無意識に、寂しい人間観を抱いてしまいます。つまり、「人間は、競争に駆り立てられなければ、一生懸命に努力しない」という「人間観」を抱いてしまうということ。
仕事の世界には、「夢」という言葉や「理念」という言葉、そして、「志」という言葉や「使命」という言葉があるように、本来「人間は、素晴らしい夢を心に描いた時、一生懸命に努力する」のではないでしょうか。私たちは今、「競争原理」の導入という時代の流れの中で、その豊かな人間観を、見失いつつあります。
そして、「競争原理」が徹底していく社会において、私たちの意識に刷り込まれていくのが、「競争の勝者=人生の成功者」という素朴な発想です。
この発想は、その素朴さと分かりやすさゆえに、多くの人々が影響を受け、それゆえに、私たちの心の奥深くに入り込んできます。
多くの人々が「競争の勝者=人生の成功者」と考え、「競争の勝者」になることが「人生の成功」であると考える社会において、「自分自身の個性」を発見し、「自分自身の成功」を定義して生きていくことは、厳しい「孤独」との戦いを強いられるのです。
そこに、この「勝者の思考」の影響力の強さがあります。そして、この思考がテレビやウェブ、新聞や雑誌、書籍に溢れています。
この「競争社会」において、「勝者」の定義は3つ。
① 経済的勝者:他人よりも高い給料や年収を得ること
② 地位的勝者:他人よりも高い役職や地位につくこと
③ 名声的勝者:他人よりも高い名声や名誉を得ること
これら3つの定義は、古くから「金と地位と名声」と言われてきたものであり、誰にとっても素朴で分かりやすい定義です。そして、この3つの定義における「勝者」となるために、いま、多くの人々が影響を受けている言葉があります。
「自分の商品価値を高める」です。
今も多くの人々が、この「競争社会」において「勝者」となることを目指し、自分の「商品価値」を高めるために、専門知識を身に付け、スキルを磨き、仕事の実績をあげ、誰よりも早く「キャリア・アップ」することを目指しています。
「勝者の思想」は、今、それほどに強い影響力を持っているのです。
「勝者の思想」の限界
しかし、この「勝者の思想」を心に抱き、「人生の成功」を求めて歩んでいく時、私たちには、必ず限界が見えてきます。
「勝者になれるのは、一握りの人間だけである」からです。
誰かが勝者になれば、必ず、誰かが敗者になります。誰かが何かを得れば、必ず、誰かが何かを失います。そのため、この「勝者の思想」を抱いて歩む限り、一握りの人間は「勝者の喜び」と「勝者の満足」を味わうことが出来るが、数多くの人間は「敗者の悲嘆」と「敗北の寂寥」を味わうことになります。
若手世代は、まだ競争社会での勝敗が決まっていないので、「きっと自分だけは勝者になれる」という幻想を抱けるかもしれません。しかし年配の世代は、この「勝者の思想」に、期待と幻想を抱くことは出来ません。なぜなら、この世代は、既に競争の勝敗が決まりつつあるからです。
しかし、この「勝者の思想」の落とし穴は、「勝者になれるのは、一握りの人間」という冷厳な事実だけにあるのではありません。もう1つの大きな落とし穴があるのです。
「勝者になっても、成功の喜びを感じることが出来ない」ということです。
この競争社会においては、たとえ勝者となっても、3つの問題に直面するからです。
「果てしない競争」、「精神の荒廃」、そして「人間関係の疎外」
第一の問題は、「果てしない競争」です。「競争社会」では「競争し続けること」が求められます。「勝者の喜び」を味わうのは一瞬で、すぐに次の競争での「敗者となる脅威」にさらされることになります。
競争において、私たちは、努力と幸運によって「勝者」となることが出来たとしても、そではひと時の喜びと、つかの間の安らぎを与えてくれるだけであり、すぐに、さらに厳しく、果てしない競争へと駆り立てられることになります。
第二の問題は、「精神の荒廃」です。1つの競争で勝者になっても次の競争が待っており、その競争では、今度は自分が敗者になるかもしれません。その脅威は、意識の奥深くの「強迫観念」として、私たちの心を苛み、心のゆとりを失わせていきます。
そして、その「心のゆとりの喪失」は多くの場合、「思いやりの喪失」となって現れます。またときに、その逆の姿を示すこともあります。「勝者の驕り」です。これは、「勝者になった慢心」から生まれるものではなく、「勝者になることへの不安」から生まれるものです。
第三の問題は、「人間関係の疎外」です。競争社会は、人間同士を徹底的に競わせる社会であるため、人間同士の深い結びつきが生まれにくい社会であり、人間同士の結びつきが壊れやすい社会です。
例えば、徹底的な競争原理によって勝敗が決まる職場においては、同僚が成果をあげて評価を得るということは、自分の相対的な評価が下がるということを意味しています。こうした職場において、勝者となるということは、職場の同僚が勝者となる可能性を奪うということであり、そこには、心の深い世界で、嫉妬や羨望、反発や冷笑が生まれます。
このように、「勝者の思想」を抱いて歩むとき、私たちはこの競争社会における寂しい現実に直面し、この思想によって「人生の成功」を目指しても、本当の「成功の喜び」を味わうことは出来ないことに気づくのです。
参考文献:田坂 広志著『人生の成功とは何か 最期の一瞬に問われるもの』(発売日:2024年3月4日)
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