「人生の成功」とは何か。
過去、多くの人生論において、この問いに対する様々な答えが語られてきました。この問いに対する様々な思想が語られてきました。
それらの思想を振り返るなら、そして、それらの思想の本質を見つめるなら、世の中には、この「人生の成功」について、「3つの思想」が存在することに気が付きます。
その1つが、勝者の思想です。しかし、勝者の思想には限界があり、3つの問題に直面します。(詳細はこちら)
勝者の思想が問題に直面する時、私たちの中では自然に、更に成熟した思想が芽生えてきます。それが、達成の思想です。
達成の思想
この思想を特徴づけるのは、「目標」という言葉。
人生において「目標」を定め、それを「達成」することを人生の成功と考える思想、目標を達成することによって成功の喜びを得る思想です。他者と比較することなく自分自身のベストを尽くし、目標を達成することそのものを喜びとする思想です。
この思想は、勝者の思想よりも3つの意味で成熟した思想と言えます。
第一に、勝者の思想はある意味で「喜びの奪いあい」であるのに対し、達成の思想は「喜びの高め合い」を可能にする思想だからです。
達成の思想は競争を前提とするものではないため、「喜びの奪い合い」の必要はなく、多くの人々との間で、互いに励まし合い支え合い、ともに目標を達成して、共に「達成の喜び」を得ることが出来る思想です。達成の思想を心に抱くとき、私たちは、自分の貢献が高く評価されること以上に、その仕事が素晴らしい仕事になることに喜びを感じます。他のメンバーと力を合わせ、智恵を出し合い、励まし合い、その仕事が素晴らしい成果をあげられるように努力を尽くしていきます。その結果は、多くの場合、仕事が成果をあげるだけでなく、自分も含めて、その仕事に参加したメンバー全員が、大きな喜びを得ることが出来るのです。そして、世の中を深く見つめるならば、この厳しい競争社会においてさえ、本当に優れたプロフェッショナルの仕事のスタイルは、「喜びの奪い合い」ではなく、「喜びの高め合い」であることに気づきます。
第二に、勝者の思想は「他者の目による評価」を意識した思想であるのに対し、達成の思想は「自分らしさの表現」を大切にする思想だからです。
勝者の思想を抱くとき、それが「他人の目」を意識したものであるため、私たちは「思考停止」という落とし穴に陥ってしまいます。自分が本当は何を求めているのかを深く考えない「思考停止」です。この「思考停止」の最も象徴的な例が「貨幣」です。世の中には、人生において必要な額を超え、ひたすらに財産を増やすことを目指す人物がいます。こうした人物の心の奥底には、しばしば、「自分が本当は何を求めているのか分からない。だからとりあえず、財産を増やしておこう」という無意識が潜んでいます。逆に言えば、私たちが自分の人生において、本当に求めているものを見出した時、貨幣に対する物神崇拝や、財産に対する果てしない欲望は、自然に消えていきます。
このように勝者の思考というものは、しばしば「思考の停止」をもたらすものですが、これに対して、達成の思想は、「思考の深化」をもたらします。達成の思想を抱くとき、私たちは、他人や社会が価値を認めるものに盲目的に従うのではなく、自分自身にとって本当に価値があると感じられるもの、自分自身が、自分らしいと感じられるものを探し、それを目標に定め、その達成のために努力をするからです。自分が生涯をかけて目指す目標を定めるということは、実は「自分らしさ」の探求であり、そこで掲げた目標とは、実は「自分らしさ」の表現に他ならないのです。
第三に、勝者の思想は「他者との戦い」に向かう思想であるのに対し、達成の思想は「自己との戦い」に向かう思想だからです。
私たちが勝者の思想を心に抱き、戦いの相手を誰か他人に定める時、私たちはしばしば、心の奥の劣等感、その裏返しとしての傲慢さ、他者に対する猜疑心と不信感、優れた人間に対する羨望や嫉妬に襲われます。そしてこうした精神状態は、多くの場合、私たちの精神の成長と成熟を妨げます。
これに対し、私たちが達成の思想を心に抱き、戦いの相手を自分自身に定める時、ある意味で最も厳しい戦いが始まるのですが、精神的には最も迷いのない戦いに挑むことが出来ます。最も厳しい戦いになるのは、全ての問題を「自分に原因がある」として引き受けることになるからです。そして、自分がどう成長すれば良いかを深く考えることになるからです。最も迷いのない戦いになるのは、他人の思想や行動に対して批判や非難をする等、様々な否定的感情にエネルギーを費やさなくとも済むからです。
「達成の思想」の限界
このように、達成の思想は勝者の思想に比べて成熟した思想であると言えますが、この思想もまた、いつか、さらに深い3つの問題に突き当たります。
「境地と運命」、「達成後の目標」、そして「感謝の意欲」
第一の問題は、「人生において、夢(目標)を実現(達成)できるとは限らない」という事実です。
世の中には「夢(目標)は必ず実現(達成)できる」というメッセージであふれていますが、そこで語られていることをどれほど忠実に実行したとしても「夢(目標)の実現(達成)」は約束されていません。どれほど深い願いを込めて目標を掲げても、どれほど一生懸命にその達成を目指して努力しても、私たちの人生において、それが実現しないことはあります。なぜなら「運」が左右するからです。「運」によって、目指していた目標を達成できなかったとき、どうすれば良いのか。それが、第一の問題です。
第二の問題は、ある1つの目標を達成しても、「人生は、続く」ということです。
何年もの歳月、努力と工夫を積み重ね、見事にその目標を達成したとしても、それで人生が終わるわけではありません。どれほどの成功の物語の後にも、人生は続きます。例えば経営の世界でも、かつて大経営者と呼ばれた人物が「晩節を汚した」と評されるときもあります。私たちは、仮に一つの時代に大きな目標を達成し、ひととき「達成の喜び」を味わうことが出来ても、その後の残された人生において、その「達成の喜び」を抱き続けて生きていくことは出来ないのです。新たな目標を掲げたとしても、私たちは、いずれ年老いて体力と気力が衰えていきます。達成に向けて挑戦していくことは、容易なことではないのです。
第三の問題は、ある1つの目標を達成しても、更に高い目標に駆り立てられるということです。
もし私たちが努力を尽くし、幸運にも恵まれて、1つの目標を達成したとしても、必ず、さらに大きな目標が生まれてきます。1つの目標を達成することによって大きな達成の喜びを得た時、私たちは、それをさらに上回る達成の喜びを求め、さらに大きな目標を立て、それに挑戦しようとします。しかし、この心理の奥にしばしば、ある種の「欠乏感」が存在します。なぜなら「欠乏感」は「達成」によっては満たされないからです。
参考文献:田坂 広志著『人生の成功とは何か 最期の一瞬に問われるもの』(発売日:2024年3月4日)
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