一般的に、人の国際移動の主要因は「より高い賃金」等の経済奇異の追求によって規定されていると捉えがちですが、これまで多くのデータや研究が必ずしもそうではないことを明らかにしてきました。
途上国出身の移住者たちにとって最大の移住理由は「より高い給与」ですが、先進国からの移住者たちにとってのそれは「ライフスタイル」です。「ライフスタイル」とは、より充実した生活に動機づけられた比較的裕福な個人の移動をいいます。
ワーク・ライフ・バランスを求めて
2000年代に豪州の日本人移住者について調査を行った長友淳氏が、移住の第一の要因としてあげたのは、ワーク・ライフ・バランスです。長時間労働によるワーク・ライフ・バランスの不十分さ、特に家族との時間を確保することの難しさは、他の研究でも、移住の時期や世代、男女を問わず、多くの日本人移住者たちの語りの中に見られます。
近年働き方改革の影響で、大手企業では長時間労働が大分改善されつつありますが、日本の事業所全体の99.7%を占める中小企業については、まだばらつきがあり、十分に働き方改革が進展していないケースも散見されるようです。今でも多くの若者たちが「長時間労働」や「仕事至上主義」に言及し、そうした職場文化から逃れるべく、海外移住しています。
アジアで活躍する技術者たち
自分自身の夢を叶えたい、あるいは知識やスキルをより活かせる場所で働きたいという気持ちも、海外移住につながっています。「自己実現」は海外移住の重要な志向性の1つです。特に、自身の持つ知識やスキルが海外で高く評価される場合、移住の傾向は高まります。
日本の科学技術や産業の発展にとって不可欠な技術者は、海外でも評価が非常に高く、その海外移住は、1990年代後半から顕在化しています。主な行先はアジアの新興国です。1985年から2013年の間に490人の研究開発人材が韓国企業に、また1989年から2013年の間に196人が中国企業に移動しました。こうした技術者たちの各国におけるイノベーションへの貢献度は、現地の技術者と比べて高いといわれています。
北米に向かうITエンジニアたち
米国やカナダ、ドイツなど、先進国に移住する技術者たちもいます。主にITエンジニアの方々です。
日本のIT業界は重層的な下請け構造からなり、大手企業が受注したプロジェクトは、主に下請けの中小企業によってなされます。そのため、大手企業のエンジニアが実際に自分でコードを書く機会は最初の数年しかなく、年次が上がるにつれてマネジメントの仕事が中心になっていきます。エンジニアの中には、管理職につくことはやぶさかではないが、マネジメント業務に追われるよりも、現場で特定の技術分野における知識とスキルを極めたいと考える職人気質の人々もいます。にもかかわらず、日本では、管理職と同等のポジションにつきながら、技術を磨き続けられる人は極めて少ないのが現実です。
多くの先進国では、技術者が一定の経験を積んだ後、一般的な管理職へのキャリアパスと、一定の技術分野に特化したキャリアパスのどちらに進むかを選べます。職人タイプの技術者にとっては、マネジメントよりも現場で高い技術レベルを追求し続ける仕事が出来ることが魅力なのです。
またIT技術者は、日本と他の先進国との給与ギャップが著しく大きいという特徴があります。カナダの西海岸では、エンジニアはマネジメント職にならなくても、スタッフ・エンジニアで年収2,000万円や3,000万円は普通です。アメリカになると、4、5,000万円も夢ではありません。
研究者たちが海を渡る理由
技術者だけではなく、日本の「頭脳」とも言える研究者の中でも海外移住が増える傾向にあります。村上由紀子氏の米国在住の日本人研究者への調査では、その移住動機として、上司・同僚たちの優れた専門性や、職場の設備・予算など、高い成果を出せる研究環境という「プル要因」が主に挙げられていました。
ただ同時に、「日本には希望する条件の仕事がない」と回答した人が42.6%もいました。博士号を取得しても、常勤の安定したポストに就くことが難しい、いわゆる「ポスドク問題」を反映しているのでしょう。
年功序列と職場ヒエラルキー
技術者や研究者にとどまらず、海外に移住した人々の中には、日本の職場文化に適応しづらいと感じていた人々もいます。最近ではかなり変わりつつありますが、まだ年功序列が残る職場も多く、管理職の前で、若いスタッフが自由に意見を述べることが出来る機会は多くありません。
また「空気を読む」文化があり、周りに合わせることを期待され、とがった人や「出る杭」は打たれてしまいます。
女性が働くことの難しさ
日本におけるジェンダー格差や女性の就業機会や昇進機会の制約も、日本人女性の海外移住の背景にあるプッシュ要因です。1980年代半ばまでは、日本人女性の海外移住は、主に配偶者の海外移住に家族として帯同するケースがほとんどでしたが、1980年代後半以降、日本の伝統的なジェンダー規範や、一般的な「女性のライフコース」の枠から逃れるために、単身で海外に移住して働く女性が増えています。1986年に男女雇用機会均等法が施行されたことによる女性の意識の変化や期待と、実際の職場での現実との乖離が背景にあるという指摘もあります。
ある移住コンサルタントは、自身が抱える日本人のクライアントのうち、4分の3が女性であり、その理由は日本における女性のキャリアの可能性が限られていることだと語りました。働き方改革が進んできた2020年代でも、「女性が子供を持つと、社内の主流のキャリア路線を歩みにくくなる」と幹部から言われて悩んでいる女性総合職もいる、と話す移住者もいました。親と同居して家事や育児の全面的なサポートを受けられない限り、日本で男性と同じように働き、昇進し、仕事と家庭生活を両立できる女性は、今でも限られているのです。
一方、海外に活路を見出そうとする女性たちは、いわゆる「バリキャリ」の女性達だけではありません。一般職や非正規雇用の女性達も、これまでのキャリアをリセットし、より挑戦しがいのある職、自分らしさをより活かせる職に就きたいと考え、海外を目指しています。日本の学歴社会の中では、スキルや能力があっても、4年制大学を卒業していないことが大きな足かせになるケースは多い。そのため、海外で学んだり資格を取ったりして、キャリア・アップを目指す場合もあります。
離婚をきっかけに海外へ
離婚をきっかけに単身で海外に出る女性達もいます。離婚した女性にとって、日本は生きづらい国だと彼女たちは言います。最近は日本でも離婚が増えてきているため、以前に比べると離婚に伴う否定的な印象は減ってきています。しかし、その社会的な影響は、男性よりも女性の方が大きい。特に、日本では結婚後95%の女性たちが夫の姓に変更しているため、離婚した女性のほとんどは戸籍名を旧姓に戻すことになり、職場の同僚たちに知られやすい。中には、職場で旧姓に戻すと仕事上で不利益を被る可能性があるため、やむを得ず元夫の姓を通称として維持する人もいます。しかし、夫と職場が同じだったために、何人もの同僚たちに事情をきかれて会社に行くのがストレスになったり、「仕事を辞めざるを得ない状況」に追い込まれたりする女性達もいます。
離婚によって生じる困難は職場だけにとどまりません。特に保守的な価値観の残る地方では、離婚した女性の立場はさらに厳しくなります。昨今、これだけ離婚件数が増えていても、地域によってはまだネガティブに受け止められることがあり、小さなコミュニティでは人々の噂の的になり、居づらくなると言います。
離婚を経験した女性たちの中には、こうした息苦しさを避けて、海外に向かう人たちがいます。
参考文献:大石 奈々 (著)『流出する日本人―海外移住の光と影』(発売日:2024年3月18日)
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