歴史というのは、「誰が政権を握り、誰が戦争で勝利したのか」という具合に、政治や戦争などを中心に語られがちです。しかし、本当に歴史を動かしているのは政治や戦争ではなく、お金、経済なのです。
お金をうまく集め、適正に分配できる者が政治力を持ち、戦争に勝つ者は必ず経済の裏付けがあります。だからこそ、お金の流れで歴史を見ていくと、これまでとは全く違う歴史の本質が見えてきます。
マホメットの減税政策
世界経済史は、ヨーロッパ諸国が中心になって作られてきたものと思われがちですが、決してそうではありません。ローマ帝国が滅んだ後、世界経済はイスラム世界の強い支配下にありました。
イスラム世界について、現代ではアルカイダやIS等、過激な宗教国家という印象を持っている人も多いですが、中世に隆盛を極めた当時のイスラム世界は、非常に合理的で、先進的な社会でした。
イスラム教は西暦610年頃に誕生し、メッカの商人だったマホメットが開宗するや、その信仰は瞬く間に中東、北アフリカ、スペインに広がっていきました。なぜこれほど急激に勢力を広げることが出来たのか。その大きな要因の1つに減税政策がありました。
マホメットの時代は、ローマ帝国が滅亡しようとしていた時期とほぼ重なります。この時代、旧ローマ帝国の領民たちは人頭税(人一人あたりに課す税)と土地税(土地の生産力を示す単位によって課す税)という重税に苦しんでいました。
そのような中マホメットは、「イスラム教に改宗すると人頭税を免除する」と呼びかけました。また改宗しない者にも、旧支配者より寛大な徴税が行われました。イスラム帝国が急激に勢力を伸ばした背景には、このような温かい税務行政があったのです。
「彼らのところに行ったら、その財産を没収するようなことはするな。土地税の不足に充てるために、彼らの持ち物を売り払うようなことはするな。税金はあくまで余りからだけ取るように。もし私の命令に従わなかったら神はお前を罰するだろう。」
(イスラム帝国の徴税業務に関する布告)
しかし、マホメットの死後、イスラム帝国は急速に衰え分裂します。そしてこれにも、税金が大きく関係していました。
マホメット以降の指導者たちは、税や財政に詳しくなく、税の徴収を地方の軍人や役人に下請けさせました。これにより、地方の有力者が私腹を肥やそうとするようになり、人々は重税に苦しむのに中央政府は税収不足に陥るという現象が起きました。
そうなると中央政府の力は衰え、イスラム帝国の求心力も下がり、地方の有力者たちがそれぞれの地域で割拠することになります。こうして、イスラム帝国は分裂していきました。
チンギス・ハーンの「柔らかい」政治・経済政策
中世の世界経済には、イスラム世界のほかにもう一つ、強力な非西欧圏の勢力がありました。13世紀初頭、モンゴル高原に出現したモンゴル帝国です。
モンゴル帝国が急拡大した理由は、その戦闘能力の高さにあります。中国に万里の長城が作られたのも、モンゴル地方の高い戦闘能力をもつ遊牧民の侵入を防ぐのが大きな目的だと言われています。
彼らは元々部族ごとに分散していましたが、チンギス・ハーンがその乱立した各部族を統一したため、圧倒的に強力な騎馬軍団が一致団結することとなり、瞬く間にユーラシア大陸を席巻し、中国、中央アジア、中東、東ヨーロッパにまたがる大帝国を築き上げました。
モンゴル帝国の政治経済の特徴は、「柔軟性」です。彼らは、行政機構、文化などの面で、中国、ヨーロッパ、イスラムなどに後れを取っていたことを承知していたので、自分たちの文化を占領地に押し付けるのではなく、占領地の文化を容認し、積極的に取り入れるという政策をとりました。その結果、モンゴル帝国は、各地の先進的な文化を一つに集積することになり、ユーラシア大陸全体の文化交流が一気に進みました。
もちろん、モンゴル帝国はそういった柔らかい政策だけで勢力を拡大したわけではありません。敵地を攻略する際、激しく抵抗する都市に対しては、徹底的に破壊と虐殺を行いました。そのため、戦う前に降伏する国も後をたちませんでした。そしてそのようにして戦う前に降伏する者たちには、寛大な処遇を行いました。そのため、占領地の人々は、朝貢的な税さえ払っていれば以前と同じ生活をすることが出来たのです。
経済についても、モンゴル帝国は広大な支配域内の交易を保証したことから世界的な流通革命が起こりました。ヨーロッパとアジアの交易が盛んになるきっかけを作ったのは、モンゴル帝国だということです。
先進的な経済政策をとり、世界交易の発展をもたらしたモンゴル帝国ですが、繁栄は100年程にとどまります。その理由は、あまりに突如急拡大したためだと言われています。強力な指導者、チンギス・ハーンやフビライ・ハーンが亡くなった後は、まとまりがつかず、分裂していきました。
オスマン帝国という経済大国
モンゴル帝国が衰退した後、世界経済で強い影響力を持つようになったのは、またもやイスラム世界、オスマン帝国です。オスマン帝国は、1299年、トルコ付近のオスマンという小さな豪族から発展し、14世紀から15世紀に領土を拡大し、全盛期には現在のウクライナ等の東ヨーロッパからアラブ、西アジア、北アフリカに及ぶ大帝国になりました。このオスマン帝国は中世を生き延び、なんと20世紀まで600年以上も続きました。
オスマン帝国が栄えた要因の1つが、優れた税システムです。オスマン帝国では、不完全ながらも「中央集権制度」が整えられており、原則として国の全ての地域に中央政府が徴税権を持っていました。つまり国中から税金を集めることが出来る制度があったので、その潤沢な資金で武器を整え、常備軍を養うことが出来ていました。
オスマン帝国が栄えた要因として、他にも交易の要衝の地を抑えていたことがあげられます。当時の東西貿易は、中国、中央アジアを経てヨーロッパに至る陸路(シルクロード)と、東南アジアからマラッカ海峡を経てペルシャ湾に上陸する海上ルートで行われていました。この2つのルート両方のターミナルといえる都市が、オスマン帝国の首都、コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)でした。
この当時のイスラム商人は、その後の世界経済に大きな影響を与えています。その1つがアラビア数字です。ローマ数字では金銭の記録に限界がありましたが、アラビア数字を取引の記録に用いるようになると、瞬く間にヨーロッパ中に普及しました。現在の会計報告の基準となる「複式簿記」も、イスラム商人が始めたものと言われています。
国の盛衰というものには一定のパターンがあります。強い国は、財政システム、徴税システムなどがしっかり整っています。そして国が傾くのは、富裕層が特権を作って私腹を肥やし、中間層以下にそのしわ寄せが行く時なのです。だから国を長く反映させようと思えば、特権階級を作らないことだと言えます。
参考文献:大村 大次郎著『お金の流れで見る世界史』(発売日: 2023年2月1日)
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