2023年6月、あるデータが衝撃をもって報道されました。22年に生まれた日本人の数、77万人。これはデータを取り始めた1899年以来、過去最少の数字です。
戦後直後の「第一次ベビーブーム」(1947~49年)の頃、日本では毎年約250万人の赤ん坊が誕生していました。その子供世代にあたる「第二次ベビーブーム」(1971~74年)でも約200万人。しかしそこから徐々に日本人の出生数は減少していき、ピークのおよそ半分になったのが1990年頃のこと。それが2016年には100万人を割り、21年には81万人、そして翌年ついに77万人となったのです。
日本の少子高齢化対策に関しては、よく「欧米を見習え」「出生率が回復したフランスを見習え」「北欧の福祉国家を見習え」等の声が聞かれます。実際に政府も、成功諸国の成功例を参考に様々な少子化対策を打ち出してきました。保育所の増設、産休・育休制度の充実、男性の育休取得率向上、子ども手当など。
しかしその効果は、いずれもはかばかしくありません。いくら保育所を増設しても、男性の育児休業取得率を高めようにも、日本人の出生数は回復しません。なぜなら日本の少子化の背後には、極めて日本的な「結婚観」「未婚観」「離婚観」が隠れており、そこを直視しないことには、日本人は今後も積極的に「結婚しよう」「子供を産もう」と思わないからです。
家族社会学論じる際、大切なのは2つの視点です。1つ目は「社会の側からの視点」、もう1つは「個人の側からの視点」です。少子高齢化問題は国が早急に手を打つべき喫緊の課題ですが、そうした国家としてのマクロな視点や対策のために必要なのは、国民側の極めてミクロな個人的視点です。「なぜ結婚したくないのか、したいのか」「なぜ子供を持ちたくないのか、持ちたいのか」「なぜ離婚したいのか、したくないのか」「そもそも、結婚・未婚・離婚の意味とは何なのか」そいうした表に出にくい声なき声にこそ、「結婚しなくなった日本人」のリアルな本音が潜んでいます。
結婚とは何か
結婚とはゴールではなくスタート
若い方(特に女性に多いのですが)は、「結婚」をゴールと考えがちです。しかし、「結婚」は決して「バラ色」でも「ゴール」でもありません。結婚は、人生における単なる通過点に過ぎず、バラ色の結婚式と夢の余韻が持続している新婚生活のその先には、長い長い、日常生活の繰り返しが待っています。「夫の長年男性の不倫相手が発覚しました」等々、結婚生活は多様性に満ちています。それほど想定外のことが起きる現場、それが「結婚」なのです。
結婚と恋愛は個人のもの
現代の私たちが考える「結婚観」が生じたのは、第二次世界大戦後から高度経済成長期にかけての近代社会においてです。戦後、日本国憲法が誕生し、「婚姻は、両性の合意にのみに基づいて成立」することが定められました。これにより、成人した男女であれば「結婚」に際し親の承諾は一切いらなくなり、それまで「結婚」を決めてきた主導権が「イエ」から「個人(当事者)」へと移行しました。
その背景には、戦後アメリカのGHQ主導で行われた「財閥解体」「農地改革」「労働組合の結成」等も関係していました。これらの結果、華族、豪農等、富と守るべき伝統を背負ってきた「イエ」が崩壊し、その傍らで企業従事者、いわゆるサラリーマンが大量に増えていきました。高度経済成長期には、高卒や大卒で企業に勤め、ホワイトカラーとなる層も大量に生まれました。
その結果多くの若者が実家から離れ、都市部で一人暮らしを始めたことで「結婚」は新たな意味を持ち始めます。1人暮らしの侘しさや経済的不安定さに「結婚」は確かな安心と経済的メリットをもたらしたのです。1人暮らしよりは2人暮らしの方が、精神的にも経済的にも余裕が出るからです。お互い貧しくとも結婚すれば、規模の効果が生まれ、多少なりともゆとりが出ます。すなわち当時の「結婚」は、「生活水準の向上」と直結していたのです。
実際に、この時期(戦後から高度経済成長期)は、基本的にほとんどの日本人が結婚する「皆婚」社会でした。1985年当時の50歳時点での生涯未婚率は、男性3.9%、女性4.3%でした。2020年の男性28.25%、女性17.85%と比べると、「結婚しない」人はごく少数派で、社会全体が「結婚」を前提に築かれていたことが分かります。
「個人化時代」の誕生
当時「皆婚」社会が可能だったのは、社会が「組織化」されていたからです。言い換えれば、現在、結婚を困難にしているのは、現代が「個人化の時代」だからとも言えます。当時も今も、未婚の男女が全国に溢れている状況は同じでも、昨今の若者が「個人化」「自由化」の結果、組織から切り離され、個別に人生を送るようになったことが大きな違いです。
現代は、日中は学校や職場にいても、就業後は自宅で一人で過ごすことが可能となった時代です。自宅に限らず、ネットカフェや喫茶店、映画館やゲームセンターなど、1人で過ごせる場所に事欠きません。仲間や同僚、上司と密に付き合い、飲み会に行かなくても、あるいは地域コミュニティに溶け込まなくても、今の若者には一人で楽しめる娯楽が数多くあります。アパートの一室や自宅の部屋で、1人でオンライン動画視聴やゲームを楽しみ、情報はネットニュースで取得し、SNSで他者と緩やかに付き合うことが可能になった現代では、「結婚」以前の「恋愛」にたどり着く出会いの機会自体が減少しているのです。
これにより、昭和の「皆婚」社会は、平成時代には結婚困難即ち「難婚」社会へと姿を変えていきます。ほぼ皆が結婚していた時代から、「なかなか結婚できない」時代に、日本は変わっていったのです。
非正規雇用社会への変貌
生活を営むにはお金がかかります。住居費、光熱費、食費、税金・・・結婚すれば結婚費用等、子どもが出来れば教育費等と、家計費はどんどん膨らんでいきます。それを賄えるだけの所得を、多くの日本人が獲得できなくなっています。日本の未婚率の上昇と、出生率の低下は、極論すればこれに尽きると思います。
新自由主義社会の導入で、非正規雇用者も増えました。1989年には、全ての労働者の中で非正規雇用者が占める割合は19.1%でしたが、2019年には38.3%と約2倍になっています。「失われた20年(又は30年)」という言葉がありますが、「(男性なら)新卒で入社したら、後は頑張って働けば定年までは安泰」、「子を生み育て、成人するまで親の収入が安定している」という大前提が崩れたのです。
特別に「豊かに暮らしたい」わけではなく、せめて人並みの生活を一家で送りたい。そんな願いさえも、下手したら叶わない。来年、再来年、自分は無事に就労できているのか。非正規雇用者は、こうした不安に常に付きまとわれています。自分自身の人生もままならないのに、結婚して妻子を持とうとする男性がどれほどいるでしょうか。
そして結婚不要社会へ
現在の日本では「子供を4年制大学に進学させられる家庭」イコール「裕福な家庭」とは限りません。学生自身が一生懸命アルバイトをして、学費や独り暮らしの生活費を賄っていたり、奨学金を借りて社会人になると同時に返済し始めたりするケースも珍しくありません。そんな学生たちは、身近な先輩たちから就職のリアルをきき、戦々恐々としています。「将来、定年まで働き続けて、家族を養うこと」は非常にハードルの高いことだと敏感に察知しているのでしょう。
だからなのか、女子学生には「専業主夫」希望者がいまだに半数に及びます。先輩の話を聞いて「朝から夜まで働かされるのはつらい」という意見です。一方「一家の大黒柱」と目される側の男子学生は「理想とする結婚スタイル」として、「ダブルインカムが大前提」と語るケースが多くなりました。既に20歳前後にして、男女の結婚観に大きな乖離が生じていることがうかがえます。
しかし仮に、望み通りに「働く妻」を得られ、「ダブルインカム」になったところで、かつてのような可処分所得の多い裕福な夫婦、いわゆる「パワーカップル」になれるとは限りません。所得の1/4を税として納める国から、その半分が税金(プラス社会保険料)として徴収されてしまう時代となった結果、「結婚不要社会」となったのではないでしょうか。「結婚は皆がするもの」から、「結婚が難しい社会」へ、そして「結婚などそもそもしない方がリスクは少なく生活していける」社会へと、日本社会は変遷していったのです。
参考文献:山田 昌弘著『パラサイト難婚社会 』(発売日:2024年2月13日)
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